無駄なことが「幸せである」理由
「いつも無駄なことをしてしまう。
今やっていることが、無駄なことでは無いか?」
終始、不安を感じてしまう。
無駄なことをしている他人が許せず、
口うるさく指摘してしまい、煙たがられてしまう。
という悩みを抱えている人に向けて発信していきます。
結論から言うと、
幸せとは「無駄な時間を贅沢に過ごしている時」こそ
感じられるものです。
もちろん「利益を出す、効率をよくする。」という分野
においては「無駄」とは徹底的に排除をする。
ということは望ましいと言えます。
物質的な富を構築したり、速さを求めるには「無駄の排除」。
精神的な豊かさを感じたければ「無駄を確保する」。
矛盾していて混乱しそうな内容でありますが、
深堀りして伝えていきます。
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幸せを感じる時は「無駄なことをしている時」
「幸せとは何か?」
誰もが一度はこのような哲学的なことを
考えたことがあると思います。
幸せとは人それぞれ。相対的なもの。
ほとんどの人はそう答えるので理解しずらいでしょう。
そして、なぜ「無駄な時間が幸せに感じるのか?」
理由は以下の通りです。
例えば、
・家とはもともと雨風をしのぎ寝どころを確保するためにあります。
多くの人は家が1坪でも広ければ広いほど
人は心地よく感じ、窓から見える景色が良いほど
住まいに対して幸せに感じます。
余分な広さや景色はつきつめれば無駄でしかありません。
・食事とは、人が生きていくための
栄養を取るためにあります。
出される食事が豪華であればあるほど甘味で
美味しく感じ、高級なレストランで出されるような
盛り付が豊かであればあるほど食事に対して幸せに感じます。
食事の盛り付けも、つきつめれば無駄でしかありません。
・電車や飛行機も目的地に移動するための乗り物です。
けれどもグリーンシートやファーストクラスなど、
座れるスペースが広く、快適であればあるほど幸せに感じます。
目的地に到着するだけで良いのに
移動に対して、居心地の良いサービスは
つきつめれば無駄でしかありません。
人が幸せに感じるサービスの多くが
「無駄」に対してお金を払っていると言えます。
現代の商品・サービスは無駄なものが多い件。
時間の使い方も、突き詰めれば、
無駄な時間が幸せに感じます。
何か生産的なことをしている訳でも無く、
勉強のために、何かしている訳でも無く、
無意味な時間を過ごしている時が
人は幸せに感じることが多いのです。
会社に勤めている人ならば
休みが多ければ多いほど幸せに感じます。
お給料が良ければ良いほど幸せに感じます。
なぜなら、それだけ多く自分の時間を過ごせます。
普段の住まい、食事、生活の質もまた、
お金で上げることが出来ると考えているからです。
もっともっと無駄を増やせば
さらに幸せを得られると信じているから
無駄が得られる時間とお金を増やすために
一生懸命、勉強したり、働いたりするのです。
これを知っておくと経営者の方は
提供する商品、サービスのアイデアが
思いつくのではないでしょうか?
無駄なものに、振り回されがちである。
幸せを感じにくい。とか、いつも不幸を感じている人ほど、
商品・サービスを売る経営者が作った広告に対して、
過剰に踊らされている可能性があります。
・車や家が無い人は、ダサい。
・高価な食事やリゾートを体験したことが無ければ、
自分は薄っぺらい人間だ。
・彼氏(女)が居ない人は、劣っている。
などと物質的な要因で「人間の価値が決まる」などと考え、
他人に対してマウントを取る人に騙され、
自分でも本気で思い込んでいる可能性があるのです。
どれも、誰か他人が決めた価値観でしか無く、
自分が得たいと思ったときに得ようとすれば良いものですよね。
無いモノ・不足しているモノに対して目を向ければ、
幸せを感じにくい体質になって当たり前です。
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幸せとは何か?|幸せの定義を解説
昭和時代の多くの人が持っていた幸せの定義とは、
「お金持ち」
「多くの人にチヤホヤされること」
「自分が最も価値のある人材だと認められた時」
を想像するでしょう。
その幸せを得るために一生懸命、勉強をしたり働き、
何か1つでも夢を成しえたことがある人なら、
スッと話が入ってくると思いますが、
目指していた目標、願望が達成されたとき、
幸せに感じる状態は一瞬で過ぎてしまいます。
とある人は
「自分はこんなもののために頑張っていたのか?」
「求めていたものと違った…」
「本当に得たいものとは違っていた…」
などと急激に冷めてしまったり無力感に襲われます。
しばらくやる気のしない状態が続くのです。
得たモノが表面的な
「お金、地位、人脈、家族、名誉…」
だとしたら今度はそれらを失う怖さのあまり
何も行動できなくなってしまう人もいます。
・定年退職をして燃え尽き症候群のようになってしまった人
・やっと手に入れた肩書や地位に固執しようとする人
・過去の武勇伝や評価を永遠と自慢する人
そんな人が典型的な例だと思います。
「良い大学に入れば、評価されるはずだった…」
「大企業に入れば、将来安泰のはずだった…」
「お金持ちになれば、幸せを感じれると思った…」
現代では特に時代の流れが速く、
正しいとされてきた価値観はコロコロ変わってしまうので
このように感じる方が非常に多くいらっしゃいます。
学校教育では
「これをすれば間違いない」
という絶対的に正しかのような価値観を
植え付けられてきたので当然です。
さらにメディア、テレビ、雑誌では1つでも商品、サービスを
売ろうとしているので幸せが外にあると思いがちです。
作家や芸術家にとっての幸せ。
話が逸れるようですが、
普段、何気なく道端に咲く花を見て
「幸せに感じられる人」と「なんとも思わない人」の違いは
幸せを外に求めているか、
内面から湧き出ている情動を感じるか
どうかです。
幸せを外に求めている人はもし、道端に咲く花に
お店の商品とは変わらない値札が貼ってあったならば
幸せに感じることが出来ます。
道端に咲く花の例えは、
芸術の世界が特に近いことを言っているかもしれません。
音楽、絵、誌、言葉、文章
どれも同じものを見ても捉え方は人それぞれ意味が
違ってきます。
「何も感じないという人」
「ただ心地よく感じる人」
「思考を巡らせる人」
「言葉では表せない情動を沸かせる人」
それぞれです。
この領域にいくと、もはや、
どの人が優れていて、劣っているという
次元の話では無いと思います。
幸せとは周りの外から与えられるものでは無く
自分の内面から感じるものだからです。
無駄なことをしている人を誰も止められない理由
他人から見て、何の意味があるんだ?
社会に対して何の役にたつの?
そんな人を見て哀れに思ったり、
止めさせようとしたくなると思います。
図のように、求めている価値観の優先順位が違うので、
他人がとうてい理解できるものではありません。
「こうした方が良いのに」と思い、指摘をしても、
耳を貸してくれないのは、このためなのです。
無駄なことをする人が許せないのなら、価値観の可視化をする
価値観の可視化とは、
紙に書き出して「見える化」することです。
多くの人が幸せの定義を1本の線で捉えようとしますが違います。
成功か?失敗か?
幸福か?不幸か?
有能か?無能か?
白か?黒か?
などと、
白黒思考(二元論)で考えて疲弊しがちです。
幸せの定義とは面であり、人によってシンプルな三角形だったり、
複雑な図形をしています。
もし、幸せかどうか?などと自問自答する贅沢な時間に恵まれれば、
三角形のカドに、理想を書き出すことです。
自分の価値観が可視化されれば、
他人との価値観の違いも見えて来るので、
理解不能な他人のことに対して気にならなくなります。
無駄なことをするために金を稼ぐのは悪いことでは無い。
理想の幸せ像の三角形を書くと迷いが消える。
誰かや世の中の役には立たない無駄なことだけれど、
自分が幸せに感じるから、壺を作ったり、絵を描いたり、
研究をしたり、誰かとダラダラ過ごしたりする。
そんな時間を多くしていくためには、
自分が生活に困らないだけのお金は必要です。
だから、読んでいる人のほとんどが、
実際に三角形を書くと、必ず「お金」が入ると思います。
次に「時間」・「健康」が入るかもしれません。
「時間」や「健康」を損なってでも
「お金」に全振りしすぎても良くありませんよね。
もちろん、最初はバランスが悪くても、
最終的に大きく、きれいな三角形を目指していけば良いのです。
今回もここまでお読みくださり有難うございます。
この思考法は自分にとっての幸せは「面積」で考えるべきより参考にさせて頂きました。