裏切る人の心理「二度と悔しい思いをしない考え方」

 

 

信じていた人に裏切られた

 

誰もが人間関係で経験する
避けがたいことだと思います。

 

 

 

人によって、それぞれ状況があるで、

 

「お金をだまし取られた」
「詐欺にあった」

 

などと、犯罪に触れるレベルになると
もちろん、裏切る人の方が悪いです。

 

 

 

ただ、世の中には、
「裏切られた」と経験がトラウマになり、
人間不信に陥っている方も数多くいるので、

 

そんな方のために
どうしたら「裏切られない人間」になれるか?

 

この記事を読み終わるころには
理解することが出来ます。

 

 

 

 

裏切る人の心理

 

「裏切る」「裏切られた」
というのは、
その人の主観でしかありません。

 

 

この人を騙してやろう
最初から裏切るつもりで付き合おう

 

と思っている人の方が
少ないということです。

 

 

相手が「裏切る」という自覚が無いのに
自分は「裏切られた」と
感じているのです。

 

 

 

 

ひんしゅくを買うようなので、
きちんと説明しておきますと、

 

本当に犯罪に触れるレベルであれば
警察や役所、しかるべき機関に相談すれば
良いですよね。

 

今回、お伝えしたい
「裏切られた」という体験は、
法に触れるほどでは無いから
何もできない。

 

だから悔しい思いをしているのですよね。

 

 

 

「相手をボコボコの
 コテンパンにしてやりたい」

 

「自分が騙された(負けた)と
 認めたくない」

 

「相手が100%悪い!」

 

 

そんな思いで頭を一杯にしている間は、
何も前に進むことが出来ません。

 

 

 

ここでお伝えしたいことは、
過ぎたことは、取り返すことは出来ないので

 

どうしたら次は裏切られないようにするか?
を考える方が重要なのです。

 

 

もちろん、
「自分はダメな人間なのだ」
などと今の自分を責める必要ありません。

 

ダメなのは、
相手に期待していた時の自分なのです。

 

 

 

相手は「人を裏切った」と罪悪感を
感じてはいません。

 

だから何も謝罪も無く、
相手なりの倫理観で、当然のことをしていた
としか感じていません。

 

そこに自分の価値観を押し付けてしまうことを
期待している」と言うのです。

 

 

自分が「これは常識」と思っていることが
相手にとって「非常識」であることが
多いのです。

 

よく人に裏切られたと感じる人ほど
人に期待し、自分の倫理観を相手に
押し付けていることが多いのです。

 

 

人に期待するのは良くないことなのか?

 

人に期待すれば、必ず裏切られます

 

自分の思い通り」にいかなければ、
それを裏切られたと感じるのであれば、
裏切られる経験が多くて当然です。

 

※何度も言うように
 明らかに法律に触れるような話とは
 別です。

 

 

人は自分のために生きているのでは無いので
自分が予想したことと違う行動を取り、
裏切られてしまうのです。

 

 

 

 

もし誕生日プレゼントを渡そうとしても

 

・お返しが無かった

 

・その場で「いらない」と言われた。

 

そんな時に怒りや悲しみを感じているのは、
自分が相手に期待していたということです。

 

ハナから期待もせず、
本当に相手のことを思っていたのならば、
与えたものが蹴り返されたとしても
何の感情も沸くことはありません。

 

 

 

人に期待しようとする人ほど
相手のためでは無く、
自分の心の穴を満たそうと
他人に依存しがちなのです。

 

 

自分を他人に依存すればするほど
相手の行動に対して
目につくようになります。

 

自分の都合の良いように
相手を支配、コントロールしたくなります。

 

 

 

人は、
相手が例え、家族や息子(娘)であっても
自分の思い通りに変えようとすることは、
いかなる手段を持ってもできません

 

人を支配、管理することは
自分のエゴです。

 

 

ここでお伝えしている心理学は、
誰か他人を変えるものでは無く、
自分が変わるために必要な知識です。

 

 

自分が自立しなければ、人を信じてはならない

 

人は、物心両面。
自分が幸せに生きるのに
「他人を必要としない」

 

一人で生きられる状態を
精神的経済的自立と言います。

 

 

 

自分の機嫌は自分で整えられる

 

自分の居心地の良さは
自分で満たすことが出来る

 

自分の必要なお金は
自分で稼ぐことが出来る。

 

自分の幸せは
自分ひとりで叶えることが出来る。

 

 

この状態が当たり前に出来て
人は初めて誰か他人に対して
何かをすることが出来るのです。

 

 

 

自分は家族のために!
自分は会社のために!
自分は国のために!

 

と言っている人ほど
自分を犠牲にしていることを
美しく感じていますが
自己犠牲は上手くいきません

 

 

 

そんな人ほど、

 

「あれだけ家族に尽くしてきたのに
 家族に裏切られた!」

 

「あれだけ会社のためを思ったのに
 会社に裏切られた!

 

「あれだけ国のために
 闘ったのに、裏切られた!」

 

などと言うことが起きるのです。

 

 

 

 

自分が他人に一切依存することなく、
精神的、経済的にも満たすことが出来る人は、
他人に対して期待はしません。

 

たとえ家族やパートナーが
どんなことをしても気にならないのです。

 

いわば、相手の自由を心から尊重している
ということなのです。

 

 

 

そして、
自分に対して何かしてもらわなくても
自分で自分を満たさせているので、
寂しくなったり、怒りを感じたりしません。

 

期待していないのに、
もし、自分に何かしてくれた時に
感謝の言葉が生まれるのです。

 

 

 

自分に余裕があるから、他人に優しくできる。

 

 

本当に、誰か他人のため、家族のため
国のためを思うならば、
まずは自分で自分を
満たすことが出来なければなりません。

 

人は一度に
自分、自分以外の家族、社会のすべてに
エネルギーを注ぐことが出来ません。

 

人の肉体、思考、エネルギーは
有限だからです。

 

だから、
自分の機嫌を満たしたり
自分が活きていくお金を稼いだり
自分の整理をすることに一番集中する必要が
ありますよね。

 

 

どうせ誰か他人や社会を変えることが
出来ないのならば、

 

自分が自立できるまで、
一切、気にする必要が無いということです。

 

 

誰か他人の目を気にしたり、
テレビや新聞を見て世の中のことに対して
興味、関心を沸かせる必要が無い
ということです。

 

例え、誰かに何を言われても、
自分が自立できなければ、
誰一人も助けることもできないし、
自己犠牲では上手くいかないのです。

 

 

 

自分の精神的、経済的自立が出来て
初めて、誰か他人に気にかけても
上手くいきます。

 

なぜなら、自分に余裕があるからです。

 

自分に余裕があるから
誰か人を助け、家族を持っても
上手くいくのです。

 

例え何があっても、
「裏切られた」などとは感じません。

 

 

 

さらに、家族のことを当たり前のように
幸せにすることが出来て初めて、

 

自分の利害を超えた国や社会に対して
何か貢献することが出来るのです。

 

既に自分と家族、仲間は満たされているので
余裕があります。

 

余裕を持って国や社会に挑戦するから
何があっても、「裏切られた」などと
感じにくく、継続することができます。

 

 

まとめ

 

「裏切られた」という経験が
多く感じられる人ほど

 

自分の心の穴を
誰か他人や社会に対して
埋めようとしている傾向にあります。

 

 

自分で自分をきちんと
満たせているのであれば
人間関係でも、商売でも
相手が何をしようとしても気になりません。

 

余裕があるので
何かあっても「裏切られた」ということを
感じにくくしています。

 

 

もとより、誰か他人や
会社や取引先など、
他人の商売に依存していなければ
騙されたりすることも少なくなります。

 

 

 

誰か他人を助けたり
家族を持ったり、
世の中に貢献しようとするならば、

 

自己犠牲では無く、
まずは、本当に大事なものは自分で満たす。
そのために、自分の自立を目指す。

 

これが「裏切られない」ことでもあります。

 

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。

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