論理的すぎる人が嫌に感じる理由「論理的思考の危険性」

論理的すぎる人が嫌に感じる理由「論理的思考の危険性」

 

論理的思考とは

感情論では無いこと
矛盾が無いように筋道を立てること
主張(結論)に対して納得できる根拠があること

といったものになります。

 

論理的に話が出来る人ほど
自分自身や相手を納得させることが出来る
などと、思い浮かべることが出来ます。

 

しかし、
論理的だからいつも正しい
論理的思考になれば、
相手を論破したり、コントロール出来る
というのは、大きな間違いなのです。

 

また、よくある間違いが、
例え「この人が言っていることは論理的だから…」
という理由で他人に洗脳されたり、支配されることも
望ましく無いのです。

 

その理由を説明していきます。

 

Sponsored Link

 

 

 

論理的だから「正しい」では無い
ということです。

 

 

例えば

知的障害者は社会にとって負担である。
だから、抹殺しなければならない。

ダーウィンの優生学思想という論理の名のもとに
障碍者=排除して良い

 

論理的に説明されたからこそ、
国を挙げて「人が人を殺す」
ということが平然と行われたのです。

 

昔の話ではありません。
あまり知られていませんが、
日本でもごく最近に行われた話です。

 

優生保護法
https://toyokeizai.net/articles/-/218189

 

 

「人が人を殺して良い」ということを
論理的に説明されたとしても、
納得して良いものなのだろうか?

 

論理的思考が時に「嫌に感じる」理由なのです。

 

 

 

 

論理的に説明することが出来れば、
他人を都合よくコントロールできるというのは、
大嘘です

 

論理的に説得して、
相手を動かすという本や教えがあるのなら、
それは、怪しいと感じます。

 

他人を支配したい、動かしたい、
などと願う人ほど、
自分自身のコントロール力が弱い人です。

 

例え相手を論理的に論破し、動かせたとしても、
相手は不満、イライラを募らせ、
決して良い仕事をすることも無ければ、
自分にとって、より良い行動を取ってくれるはずがありません。

 

 

 

では、論理的思考は何のために使うのか?

 

それは唯一、変えられることの出来る
自分自身を納得させるためです。

 

自分が何か物事に取り組む際、
必ず行動が必要になります。

 

「疲れたから、やめる」
「不安だから、やらない」

 

などと、
行動する際、いちいち感情に振り回されていては
何も成し遂げることが出来ません。

 


しかし、
ただ感情を抑えるだけでは、
とても疲れます。

痩せたいのなら、
食べる量を減らして
運動する量を増やせばいい

 

だから、
「もっと食べたい」という感情を抑える。

 

稼ぎたいのなら、
自分で行動して商品を売る

 

だから、
「めんどくさい」という感情を
乗り越えて行動を続けなければ。

といったように、
自分自身を納得させるための「論理」
必要になるのです。

 

 

しかし、時に論理的思考が

実は沢山食べた方が、痩せる。
なぜなら、○○という理由があり、

 

結局、食べてしまう。

実は、行動をしない方が、
稼げるかもしれない。
なぜなら、○○だから。

 

結局、行動をやめてしまう。

などと、
「やらない」「やめる」理由を探して
自分を納得させる行為をしてしまうことも
忘れてはいけません。

 

Sponsored Link

 

 

「言葉」という道具は万能ではありません
そして、
論理的だから「正しい」のではありません。

 

 

粒子がどうなっているか?
人間の神経回路がどうなっているか?

などのように、
世の中には「目に見えない」ものが沢山あって、
「言葉」や「論理」で説明できないものがあります。

 

 

 

「愛」という言葉も、また、
「論理」で説明できるものではありません。

 

ただ「なんとなく、こうかな?」
といったものでしかなく、
だから、目の見えない物を信じることも必要になります。

 

論理とは、
いわば「納得させるだけの判断材料の1つ」です。

 

 

 

 

杉山自身の体験談を語ると、
幼少時代から学校の先生や先輩に
説教をされていた時、

「なぜか腑に落ちず、納得できない」
「しかし相手は、なんとなく間違っている」

などと、心の中では考えていたものの、
それを「言い返すだけの言葉」が出てきませんでした。

 

 

「言い返すだけの言葉」を出すためには、
「正しさ」が必要だ。

 

などと考え、

そもそも「何が正しいのか?」

という理由を探し、
哲学や宗教、科学にのめりこむ経験を
10年以上続けました。

 

そして、2年前にわかったことが、

「正しさは存在しない」
「正しさは、自分で決めること」

ということでした。

 

どんなに論理的に物事を説いたところで、
それは「自分にとっての正しさ」であり、
相手にとっての正しさでは無い」のです。

 

論理的思考を身に着けるには、
「正しさ」を見つけなければならないと
長い間、勘違いをしていたのです。

 

教育に「正しさ」があるかのように
イメージをしがちですが、
それは、その場を都合よく、
スムーズに動かすための道具でしか無いのです。

 

 

 

論理的思考は、
時に自分の主張を、相手に納得させることが出来る
良い道具の1つです。

 

時に主張が通らず、
自分が否定された気持ちになったり、
ヤケを起こしがちですが、

 

そんな時ほど、
論理的だから正しい訳では無い
ということを思い出してみてください。

 

 

そして、
論理的思考とは、相手を動かすためのものでは無く、
自分をコントロールできるようになるための道具だと
いうことを知っておいてください。

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。

トップへ戻る