性と恋愛と結婚「メディアが作り出した恋愛の押しつけに苦しめられないために」

 

恋愛と結婚

 

この言葉を聞いて
なんとも思わない人もいれば、
過剰に反応してしまい苦しくなる人も
いらっしゃると思います。

 

「彼女(氏)はいるの?」
「結婚はまだなの?」

 

そう聞かれて、
心が痛くなる人すらいます。

 

・過去に性的な被害に合われ、
 辛いトラウマを抱えているのかも
 しれません。

 

・身体に障害を抱えていて、
 コンプレックスを
 抱えているのかもしれません。

 

・学歴、年収、身分などと同じように
 恋愛をステータスのように植え付けられ、
 劣等感を植え付けられた経験をしたのかも
 しれません。

 

聞いてくる相手は、
「今日の晩御飯は何か?」
「天気の話」「幼少時代の思い出」など、

 

「恋愛」や「結婚」の話は、
「誰とでも共感できる話題」だと思って
話している場合が多いのです。
悪気はありません。

 

 

 

ちなみにアラブ、中東、イスラム文化圏では、
初対面の相手に恋愛や結婚の話をするのは、

 

「どこの宗教を信仰しているのか?」
などと宗教や政治の話をしようとするくらい
無礼な行為です。

 

日本では性と恋愛と結婚の
成り立ちや文化まで語っている人が少ないので、
真面目に、お伝えしていきます。

 

 

 

現代の「性、恋愛、結婚」の文化は
どこから来たのでしょうか?

 

 

日本の場合、
今から150年前の明治時代の頃に
性、恋愛、結婚の三位一体
ワンセットであるという価値観が
広まり始めました。

 

 

それ以前は
恋愛という文化は存在しません。

 

家と家の付き合い、利害が
重視されていたのでイチ個人の自由は無く、
家長である親の取り決めによって
結婚というカタチが取られていました。

 

 

もちろん平安時代の頃から
男女のかけ落ち、心中という
ごくわずかなケースもありました。

 

それを文学や歌舞伎に表現したのです。
恋愛とは文学作品と言っても
過言ではありません。

 

 

 

話が戻りますが、

 

日本は明治時代に入り、
日本は工業化だけでなく、
社会システム、生活スタイルも西洋列強から
取り入れることになったのです。

 

もともと日本では性文化とは
乱交、夜這いが当たり前。
比較的、オープンな風習だったのです。

 

西洋では宗教的に
「性=恥ずべきもの」と捉え、
子どもを作るとき以外の性交を
禁じられていました。

 

なので、
明確に男と女の違い、意識を明確に
しだしたのです。

 

 

 

さらに明治政府は
音楽文化に西洋のクラシックを
積極的に取り入れました。

 

特にイタリアのオペラは、
ほとんどの内容が男女の関係を
思いに歌ったものを
芸術へと昇華したのです。

 

男女の交わり=みだらで卑猥なもの
では無く、
「男女の交わりを通して
美学、芸術作品である」
ということを成しえたのです。

 

 

 

日本人が明確に
「恋愛とは性交の目的では無く」

 

「芸術、情熱、美しいもの」
などと捉えはじめたのは
この頃です。

 

 

 

まだ続きがあります。

 

1980年頃のバブルの頃は、
メディアがいわゆる

 

「恋愛をしない人は遅れている」
「結婚をするのが当たり前」

 

という広告を爆発的に打ち出したのです。
恋愛ソングが流行り出したのもこの頃です。

 

 

メディアの目的は、

 

人々が恋愛をし、
結婚をして家庭を築き、
車やマイホームを持ち、
銀行やローン会社、保険屋に
お金を落としてもらうためなのです。

 

 

 

大事なことなので、
もう一度言います。

 

メディアが積極的に
恋愛を推し進める理由は、
人々が結婚して家庭を築き、
ローンを組んで家や高額商品を買い、
銀行や保険屋を儲けさせるためです。

 

 

 

もちろん、
恋愛や結婚とは、
「幸せを感じられる1部分」で
あることは間違いありません。

 

ただ、受け取る人によっては、
恋愛や結婚という同調圧力を感じるのは
このためなのです。

 

なかには、恋愛という文化、商品を
押し付けられて苦しめられている人も
大勢いらっしゃるので、
ドライにも捉える部分をお伝えしました。

 

 

 

「性、恋愛、結婚」がワンセットに
なっているので、混乱している方が
多いと思います。

 

「性」
「恋愛」
「結婚」

 

を分けて考えると、
非常に腑に落ちることがあります。

 

 

これから話をすることは、
誰一人、例外無く当てはまる
ということを言いたい訳ではありません。

 

統計的な内容をお伝えしていきます。

 

 

男性は、
物事を「いかに効率良く達成するか?」
結果を重視しています。

男性の9割が「性」が目的で、
「恋愛」に対して関心がありません。

 

男性は2分に1度は誰でも無意識に
「性」のことが浮かんでくるのに対し、

 

 

女性は、物事を進めることそのもの、
「過程」をどれだけ楽しめたか?を
重視しています。

女性の9割が「恋愛」が目的で、
「性」に対して関心がありません。

 

女性は2週間に1度「性」のことが
考えるか、考えないかです。
なぜなら、女性にとって性交は
リスクだからです。

 

一度、子どもが出来たら、10ヶ月は
いつもとは違う体になり、
吐き気や、つわり、体調を崩したり、
最悪は死んでしまうこともあるのです。

 

 

 

男と女では、
単に身体の違いだけでなく、
考え方がこれだけ違います。

 

だから、本当に男女が
理解し合えることは、ありません。

 

 

 

 

男性からしたら、
女性を全く理解できない
宇宙人のように感じて当然です。

 

女性からしたら
男性がなぜそのような行動をするのか?
想像もできなくて当然なのです。

 

 

「結婚とは修行である」

 

という由縁も、
理解し合えるはずもない男女が
お互いの努力で屋根の一緒に住む
ということから来ているのです。

 

 

 

愛と恋愛の違いは、
エゴ(利己や目的)が有るか否か?
です。

 

「恋愛、結婚していれば、
 周りの人にカッコがつく」

 

「この人は可愛いから
 付き合いたい」

 

「この人と結ばれれば、
 自分が幸せになれるだろう」

 

「この人と居ると
 ワクワク、ドキドキする」

 

これらの気持ちは、すべて恋愛です。

 

 

恋愛には
自分に何かメリットがある
もしくは、
相手が自分の望む結果をもたらしてくれる
だろうという理想を思い描いている時です。

 

 

 

そして、

 

「愛」とは

「自分に何のメリットが無くとも、
 相手のありのままを受け入れる。」

 

「例え何もしなかったとしても、
 ただ居るだけで良い。」

 

「自分が何も感じなくとも
 相手を尊重している」

 

という状態です。

 

 

愛には、
相手に対して「こうしたら良いのに」
「この行動をしたら幸せになれる」
という言葉が出て来ることすらしません。

 

無関心な訳では無く、
相手のありのまま、例え何もしなくとも良い。

 

それでいて、
相手に対して自分は我慢することなく
自分の良いところを見せようともせず、
居心地を良く感じられるのです。

 

 

 

もっとわかりやすく言うと、
生まれたての赤ん坊に対して
「こうしなさい」
「こうすればいいのに!」

 

などと言う言葉が出てこないと
思います。

 

 

ただ、生まれてきてくれたことに
自分が心から喜びを感じる。

 

生まれたての赤ん坊が
何もできなくとも、
自分は居てくれることに感謝が出来る。

 

この状態に最も近いと言えます。

 

 

 

もし、親が赤ん坊に対して

「必ず将来有望にするつもりで、
 英才教育を受けさせなければ!」

 

「しつけをしなきゃ!」

 

「これで私は、
 親としてのステータスを手に入れられる」

 

などと思うことは既に
親が子供を愛しているのではありません。

 

親が子供に対して恋(恋愛)をしている
状態なのです。

 

 

 

メディアが送る恋愛には
必ず損得勘定、功利主義が
渦巻いています。

 

もちろん、
・自分が幸せを感じたい
・誰かに認めてもらいたい。
・自己承認欲求を追求したい。

 

ということを求めて、行動する
恋愛をすることは悪い事ではありません。

 

しかし、
「愛」と「恋愛」の違いがわからず、
混乱している人が多いのも事実です。

 

 

 

人から上から目線で
「結婚はまだか?」
「付き合ったことが無いのか?」

 

と物言いをされるのは、
「相手のためを思って言っている」
のではなく、

 

自分が相手に対して、
恋をしている状態になんら変わりありません。

 

 

「愛」については、
愛とは?「損徳の恋愛から卒業するために」
で詳しく説明していますので
よろしければ、お読みになってみてください。

 

ここまでお読みくださり
ありがとうございました。

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