SNSで「リア充アピール」をするとなぜ不幸になるのか?「反応がもらえる投稿とは?」
SNSいわば、
フェイスブック、LINE、
ツイッター、インスタグラム等で
うつに近い状態になってしまったり
している人が増えているそうです。
ここでいう
SNS上でのリア充アピールとは
一番わかりやすく言うと、
SNSでお金をバラまいていたり、
高級車や多くの人に囲まれていることを
積極的にアピールしている人達のことです。
みじかに言えば、
「過度な友達多いアピール」
「彼氏(女)が居るアピール」
「忙しいアピール」
「インテリな情報を発信して意識高いアピール」
「私はこれだけ凄いヤツなんだ!」
ということがジワジワ伝わって来るアピール
投稿している本人には、
そんなつもりが無く、
なんとなくでやっているかもしれません。
「下品だなぁ・・・」
などと思いつつも、
その人の投稿を見て、
無意識にどこか引け目を感じ、
自分も相手と競い合うように
必死になって投稿したのにも関わらず、
誰にも「いいね」や「リツイート」されない。
本来、SNSとは楽しくコミュニケーションを
取る場なのに、
心に穴を感じてしまっている人に向けて
SNSでうつにならない考え方を
お伝えしていきます。
SNSで「私は凄い」をアピールする場所では無い
フェイスブック、LINE、ツイッター、
インスタグラム等のSNSは、
自分の凄さをアピールしようとすると、
他の人の投稿を見て
鬱や嫉妬心を沸かしてしまう人に
なってしまいます。
自分が満足していることを
ナゼわざわざ、
人に見せびらかす必要があるのか?
人に見せびらかせれば見せびらかすほど、
その呪縛に囚われてしまい、
それ以下の生活を送ることが
怖くなってしまうのです。
自分より上の人間と比べて
常に競争心を煽り建てられるだけで、
共感や親しみを生むどころか、
不幸を生んでしまうのです。
「たかがSNSで大げさな・・・」
と思いますが、
SNSの構造があまりにも優れているので、
多くの企業やビジネスが参入し、
商品やサービスの良さをPRしたり、
意識の高そうな偽の情報が流れてきたり、
時には、
不安や恐怖を煽って購買意欲に
つなげようとする試みが行われています。
知らず知らずのうちに、
メディアによる洗脳を受けている
可能性があり、起きてしまうことなのです。
そして、胸の内から沸き起こる
恐怖、不安に耐えられず、
それを埋めようとして
何か刺激を求めてしまうのです。
「他の人と違ったことをやろう」
などという思いから、
反社会的な危ない人と関わったり、
人生のギャンブル的な賭けに
出てしまうのです。
まずは誰か凄そうな人と自分を比べて
劣等感を感じることをヤメルことから
始まります。
見栄のために無理をして自分を着飾り、
そのために苦しい思いをしてまで
働くことは、ほぼ精神病のようなものです。
誰か他人と自分を比べて
幸福を感じることを相対的幸福と
言います。
メディアや既存の価値観を真に受け、
相対的幸福に悩まされているからこそ
現代人は精神病のような状態を患う人が
多いと言えますので、
注意しなければなりません。
SNSは「共感する」場所
SNSという空間上とはいえ、
相手は生身の人間です。
圧倒的に反応がもらえるのは、
「自分の凄さ」では無く、
「自分はそう思う」
といった共感をシェアすることです。
人は、
他人のことに興味、関心はありません。
誰かがどんなに凄いことをSNS上に
投稿しても、
自分にも何かうま味、メリットが無ければ、
「いいね」も「リツイート」もされません。
だから、自分よがりの投稿
まさに「リア充アピール」をしても
反応が無いことの方が多いのです。
「反応がもらえる投稿」とは、
見た人にも、喜んでもらえる内容です。
これは、
オフラインのコミュニケーションや
商売にも言えますよね。
「自分はこれだけ凄いんだぞ!」
などと自慢しても、
相手にメリットが無ければ、
相手は話を聞くだけ苦痛です。
だから、
時に自分のことをワキに置いて、
相手が居心地が良く感じる
内容の会話をするのですよね。
「この○○という商品は、
これだけ凄いんです!」
などと言っても
相手の問題に何の関係も無いどころか、
求めていないのに
マニュアル通りに売ろうとすれば、
ただの下手くそな営業マンです。
本当に相手が求めている問題は何か?
話を聞き、理解したうえで
「商品を使って役に立たないか?」
クリエィティブに思考することが
うまい営業マンですよね。
SNS上でも
反応がもらえる投稿とは、
見る人の共感
もしくは、
喜んでもらえるメリットを考えること
です。
なんだかんだ言ってSNSをやることのメリット
人はインプットするのは得意ですが
アウトプットすることが
非常にめんどくさく作業に感じます。
ひと昔まえは、
ブログが主流でしたが、
ブログよりも気軽さをもたらしたのが
SNSです。
アナログの紙でも、
SNSという電子の海でも
自分の考えや思いを
アウトプットするということは、
自分の書いたものが、
そのまま形に残りますよね。
この形こそが
もう一人の自分と対話する
ということなのです。
なるべくなら、
ありのままの自分をアウトプットすることが
出来れば良いのですが、
誰かに見られるから、
どうしても着飾ってしまうばかりに
「書くことが無い」
というのが現状でしょう。
最初は着飾っても、
周りに見られることを意識しすぎても
形に残れば、
後から自分の投稿したものに見てみると、
必ず発見があります。
「自分には、このようなクセがあるのか」
「自分には、これがあるのか」
「自分が得意なことは、コレか」
などと自分をフカンし、
「自分は何者か?」気づきが生まれるのです。
これを
自分と対話している。
ということなのです。
音楽家や芸術家は、
なぜ音楽や絵を描き続けるのか?
生活のため、儲けるため。
だけではありません。
自分というフィルターを通して
音楽、絵やアートという媒体に
アウトプットしているのです。
だから音楽家や芸術家の素質が
ある人ほど、
物事を深く考えたり、
自分のことをよく観察している人が
多いのです。
最近の起業家では、
デザイナーや建築家と組むことが多いです。
・商品、サービス、プレゼン資料を
具現することに優れていること
・人、世の中、倫理観について、
考えることに長けている
という理由からだそうです。
話が脱線しましたが、
SNSもまた、文字や写真を使い、
一人ひとりがアウトプットできる
媒体なのです。
Facebookが生まれたコンセプト
今回は、SNSに関する内容なので、
Facebookが生まれたコンセプトについて
触れておきたいと思います。
フェイスブックの創業者である
マーク・ザッカーバーグは、
どんなに個人的な
能力、スキルが優れていたとしても
最後に重要なのは
「人とのつながり」
そう親から教え込まれたそうです。
人の能力、知力の高さを表したのが
知能指数(IQ)とは
聞いたことがありますよね。
さらに、
自己や他者の感情を読み取る力を
心の知能指数(EQ)というものが
あります。
どんなに知能指数(IQ)が高くとも
心の知能指数(EQ)が低い人ほど、
人間関係でトラブルを起こしがちです。
だから、
どんなに能力に長けたとしても、
人を悲しませたり、
馬鹿にしたり、蔑んだり、
人を疎かにしてはいけない。
ということを
教えていたのです。
まさに「人とのつながり」という
コンセプトがフェイスブックという
巨大なサービスを作り出したのです。
もちろん、
何か夢、願望実現のために決断した時は、
独りになる時間の方が大事になってくる
成果を出すために、
そんな時期も必ず必要です。
しかし、
他の記事でもお伝えしている通り、
最後の最後に人は、
人の間からしか本当の喜び、幸せを
感じることが出来ません。
人を通じて体験した喜怒哀楽、
「なぜ?なぜ?」という
自問自答の機会がないので、
人の器を磨くことも出来ません。
フェイスブックの創業者も
例え一人で生きていけるだけの能力、
資産を身に着けたとしても、
誰か他人の声も届かないような
山奥へひっそり隠居するのでは無く、
わざわざ雇用をつくり、
家族を持ち、
オフライン上で働き続けているのは
人の間からしか得られない
心の磨き方を知っているからだと
思います。
今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。