見返りを期待すれば、裏切られる。
見返りを期待するギブ(与える)は、自分も相手も得しません。
人は、自分のために生きている訳では無いので、
望んでいる「見返り」が来ることはありません。
そもそも、人に何かをしてあげる際、
最初から見返りを期待している人は、不幸になりやすい。
と言えます。
実際にモノをあげたりするだけでなく、
誰かに話を振ってみて、
共感を得られなかったのならば、気持ちが満たされない。
むしろ話しかける前よりも嫌な気持ちになってしまう。
そんな人も要注意が必要です。
- 他人に期待すれば、裏切られる数が増えて当たり前。
- 見返りを期待するギブは、自分も相手も不幸にする
これについて深掘りしていきます。
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差し上げたら、それ相応の対価を返すのが当たり前はゲス。
高額なモノをあげたり、
可愛そうだからと言って、無償で施しをしてしまうと、
それだけ、相手に対して「見返り」を期待してしまいますよね。
ならば、
少々、極端ですが、その覚悟が無ければ、
最初からギブをしてはいけません。
例えば、
逆に、自分が相手から何か贈り物を受けたとします。
誕生日プレゼントでも、お中元でも、飯を奢ってもらうことでも、
なんでも構いません。
そこで相手から、
などと考えているのがわかったら、
ハナから受け取らない方が良かったですよね。
そういうことです。
恩を返すつもりが、支配される
相手から施しを受けて、
「それを返さねば!」などと、
自己犠牲をしてまで答えようとします。
それが過去の私です。
「相手から嫌われたく無い」という心理が働き、
「借りを返す」つもりが「人の言いなり」になり、
疲弊していきました。
ほとんどの人が無いとは思いますが、
「年賀状をもらったら、すぐに返せ!」みたいに、
「恩を受けたら、絶対に返せ!」
などと固定観念の塊にしている人は要注意です。
そして、いざ借りを返さなければいけない場面に
直面したとしても、
自己犠牲は長続きしません。
例え相手から「恩知らず」「裏切り者」と言われたとしても、
「できません」と言うことに恐れを抱いてはなりません。
「やってもらった」「借りがある」
という弱みに足元を救われてはなりません。
余力が無いのに、都合が良いように扱う人に対しては、
「嫌われて正解」だということです。
「借りを返す」「恩に報いる」ということは、
自分の余力があるとき、可能になるのです。
自分のコップに水が満たされ、溢れ出した時に
「恩を与えてくれた人に返せば良い」のです。
ギブをするのならば、見返りを絶対に期待しない。
今回の「見返りを期待するギブ」は、
無意識のうちに自分がやってしまうことがあります。
実際に物をあげるだけで無く、
気持ちの面でも同じことです。
例えば、
・ラインやメールで、メッセージを送ったのに無視された。
・自分が面白いと思った話題を相手に振ったのに、
興味無さそうに、そっぽ向かれた。
・誘いを断られた。
などなど、何か感情が湧いたら注意が必要です。
無意識のうちに、
からです。
誰かに声をかけて「自分の望む結果」を得られず、
「腹をたてる」時、その心理には、
が存在します。
他の記事でも、さんざんしている話ですが、
共感してもらいたい・賛同してもらいたい。
などと、手当たり次第、声をかけることは、
精神的に依存することに繋がります。
精神的依存は、人に振り回されやすくなり、
支配されやすくなります。
他人に対して思いやりがある。
優しい人であるはずなのに、搾取される原因は、
ここにあるのです。
精神的依存が強い人は、
思いやりがある人。優しい人。にはなれません。
ギブをするならば、蹴り返される覚悟を持つ。
「見返りのある」ギブは、
相手にも、なぜかヒシヒシと伝えわって、ストレスを与えています。
だから、なるべくトゲが無いように、
やんわりと距離を取ろうとしているので、
ということが発生しがちです。
裏切られる覚悟が無ければ、人を信じてはならない。
という格言があるように、
「見返りの無い」ギブであれば、
例え相手に蹴り返されたとしても、なんの感情も湧くことはありません。
相手が受け取らないことで腹を立てているならば、
それは自分が「精神的な見返り」を期待している証拠です。
もちろん、自分から話を持ちかけたり、
ギブをすること、そのものが悪いことなのではありません。
ということです。
自分が満たされていないのに、
誰かを満たすことは出来ません。
今回もここまでお読みくださり、
ありがとうございました。