ごめんなさいが言えない人の心理「負のエネルギーで浪費させないための対処」

ごめんなさいが言えない人の心理「負のエネルギーで浪費させないための対処」

 

「ごめんなさい」が言えない人
「自分の非を認められない人

 

どこにでも、
このような人が居たと思います。

 

そのような人と出会うたびに、
さらに腹が立ち、
ネガティブなエネルギーを浪費
してしまうことが多いでしょう。

 

 

相手がたった一言だけ
「わるい。」「すみません」

 

そう言うだけで、
余計に自分の腹が立つことは無いのに、

 

「なぜ、素直に謝ってくれないのか?」
「非を認めてくれないのか?」

 

そう疑問に思う人が多いのでは
ないでしょうか?

 

 

「ごめんなさいが言えない人の心理」
について解説し、

 

自分が負のエネルギーを浪費させないための
対処方法について、お伝えしていきます。

 

 

 

「ごめんなさい」が
言えない人の多くが、
謝罪=自分が「負け」「悪」
という認識を強く持っているのです。

 

至極、当たり前のことを言っている
ようですが、

 

この「負け」「自分が悪い」という
認識こそが、
自分から「ごめんなさい」を言うことが
出来ないようにしているのです。

 

 

 

 

我々人間は、生まれた時から、
常に周りとの競争を意識させられる
環境にいます。

 

自分の問題であるはずの
勉強や部活、趣味の世界でさえも、
いつの間にか誰かと比べて優劣をつけている
ような状態になっています。

 

 

この競争を意識させられる環境は
過去数千年、変わることの無い
人類の慣習のようなもので、
今後とも変わることはありません。

 

自分から「競争から外れるよう」に
意識することを習慣にしていなければ、
常に、何か見えない恐怖に怯え続けることに
なるのです。

 

 

 

自分から「謝る」ことをしたら、

「さらに相手から攻撃を加えられたり、
 金銭を要求されるかもしれない。」

 

「『自分が悪い』ということを認めたら
自分が傷ついてしまうかもしれない。」

 

「相手に支配、管理されるかもしれない。」

 

誰もが、このような恐怖を
無意識に感じているから、
「素直に謝る」ということを
難しくしているのです。

 

 

 

「謝る」ということは、
「正しさ」を証明する訳ではありません。

 

「謝る」とは、
良好な人間関係を築くための
コミュニケーションの一部でしかありません。

 

 

人は、どちらが「正しい」のかを
求めていると思いがちですが、
違います。

 

「自分が正しい」を強く求めがちなのは、
自己承認欲求を満たすためです。

 

 

自分が正しければ
自分は良いことをした。

 

正しい自分は、
相手よりも優れている。

 

正しいことをしているのだから、
自分は社会的に価値のある存在なのだと
感じられる。

 

 

自分が認められたい。
価値があるとされたい。
有利な立場につきたい。
愛されたい。
誰かを従えたい。
支配したい。

 

これらの感情を自己承認欲求と言います。

 

 

 

どちらが正しいのか、
「白黒はっきり」させたい。

 

という欲求もまた、
自己承認欲求を満たしたい欲求
なのです。

 

本当は「正しさ」なんて
どうでも良いことが多いのです。

 

 

 

 

謝罪の目的は、
どちらが「正しい」か証明すること
ではありません

 

相手の自己承認欲求を尊重し、
良好な人間関係を築くためであったら、
気軽に「自分から謝る」
ということをしても良いのです。

 

 

もちろん、
商売やビジネス、お金が絡んでいたり、
政治や外交の交渉の場など、

 

自分から謝ることで、
相手からさらに損を被るような場面では
別です。

 

お金、人の命、国家の存亡、
将来が関わっている時は、
毅然とした態度で
徹底的に戦わなければならない
場面も必ずあります。

 

 

 

 

ただ、日常生活において、
かつ
普段、接しているパートナーや友人に対して

 

こちらが謝ると、
取り返しのつかない不利益を被ることが
あるというのは、ほとんどありません。

 

 

まして、
自分が本当に大切にしたい人、
良好な人間関係を築きたいと思っている相手

 

そのような人に対して「だけ」
自分の正しさを証明することに、
何の意味が無い

 

ということを今回の記事では
一番、大にして言いたいのです。

 

 

 

自分から「謝る」というリスクを取り、
勇気を出したところ
望む結果を得られなかったとしたら、

 

それまでの関係だった
ということです。

 

 

他の記事でも書いている通り、
人を変えることは、
どんな手段を使っても変えることは
出来ません。

 

それにも関わらず、
黙って離れることもできず、
悔しくなったり、憤りを感じるとしたら、

 

そこから先は、
相手では無く、自分の問題
だということです。

 

 

 

胸の内から湧き出る感情が
大きければ大きいほど、
良く言えば、
相手に「思い入れ」がある。

 

悪く言えば、
相手を「支配、管理したい」という
エゴが強いということです。

 

相手を「どうにしかしたい」などと
思う人ほど、
「自分自身をコントロールできない人」
なのです。

 

 

 

自分から謝り、
損害を与えられたり、
さらに攻撃を加えられ、

 

自分のセルフイメージを落として
しまうくらいならば、
我慢して相手と関係を続ける理由は
どこにもありません。

 

 

本当に相手を思うならば、
尚更、相手の前から消えてあげることです。

 

相手は、
自分のことに時間を使うよりも
また別の誰かのために
時間を使うことが出来るからです。

 

自分もまた、
これ以上、相手のために時間を浪費したり
セルフイメージを落とすリスクが無くなります。

 

 

 

後は漠然と、
こみあげる感情に対処する自分自身の
問題です。
これを乗り越えると
また一つ自分の器が大きくなっていくのです。

 

 

これを難しくしているのは、

「同じ人と一生、仲良くしたい」

という幻想のせいです。

 

 

 

同じ人と10年後、20年後、30年後も
仲良くする

 

というのは、
良い面だけを見ているだけにしか
すぎません。

 

言い換えれば、
同じ人と10年後、20年後、30年後も
仲良くするのは、

 

10年後、20年後、30年後も
自分は「人間関係」も「環境」も変わらない。
自分は、成長も進化も何もしない。

 

ということです。

 

 

もちろん、

同じ人と10年後、20年後、30年後も
一生仲良くする

というのが悪いことでは
ありません。

 

「自分は、ずっと成長も進化も何もしない」
ことを自覚している
それでいて、
充分に幸せを感じ、感謝ができる。

 

そのような素晴らしい生き方は、
存在します。

 

 

 

物事には、
必ずオモテとウラ、
コインのような表裏一体の真理を
持っています。

 

このことを知っていることが、
「別れ=悲しいこと、ネガティブ」
という固定観念を外す
大きな1歩ということです。

 

 

 

ごめんなさいが言えない人の心理とは

 

「自分の正しさがどうであるか」
よりも
「自分が傷つけられるのが怖い」
というのが最もな理由です。

 

 

 

そして、

 

「ごめんなさいが言えない人のために」
いつまでも負のエネルギーで
自分の時間を浪費してしまう
自分もまた、

 

「正しさ」よりも
自分の自己承認欲求を求めていることが
大きな要因です。

 

人をコントロールしたり、
変えることは出来ない。

 

 

それがわかっているのに、
自分の胸の内から湧き出るモヤモヤと
格闘する時こそ

「自分で自分を
 コントロールできるようになる」

絶好の修行の機会だということです。

 

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございます。

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