コミュ障で、仕事できない人ほど「安心・安定」を求めている

 

コミュ障は個人のみに起きるのではなく、
集団、組織、会社全体のコミュ障が存在します。

 

ブラック企業、ブラック部活ほど
上下関係は厳しいくせに

横のつながりでのコミュニケーションが出来ない。

です。

 

 

人をまとめる上司や指導者自信が
コミュ障なので、まともな人が入ってきても

 

すぐに離れてしまうか、
伝染するようにコミュ障になって
しまうのです。

 

 

 

最近、ニュースで取り上げられた
相撲やスポーツ団体がまさに
典型的ですね。

 

 

 

周りから批判されていても
外部とのコミュニケーションが取れないので
閉鎖的陰湿な風習が当たり前だと
思ってしまうのです。

 

 

だから平気で
他人の人格を傷つけようが、
デンモクで人の頭を殴って割ろうが、

 

 

「異常」「おかしい」

 

ということに気づくことすら
出来ないのです。

 

 

 

ブラック企業の経営者や
ブラック部活の指導者すら
自分がおかしいことに
気がつかない理由です。

 

 

 

 

コミュ障がブラックな環境を作る

 

 

 

 

組織におけるコミュ障は、

 

人は安心、安定を求めてるあまり
人を信頼しなくなっているのです。

 

いまいちパッとしないと思いますので
詳しく説明していきます。

 

 

 

 

 

人間関係において
信頼とは、相手の人間性ゆえに、
裏切らないだろうという考えです。

 

もしくは、相手が裏切ったとしても
かまわないと思えるくらい、
自分に余裕があるということです。

 

 

 

 

 

 

 

そして人間関係において、
安心とは、相手が裏切ることが
出来ない状況だから、

 

自分は相手に対して安心している
という考えです。

 

信頼と安心では
だいぶニュアンスが違います

 

 

 

 

 

 

 

マフィアが良い例かもしれません。
組織を抜けようとしたり、裏切れば、
抹殺されるという鉄の掟がありますね。

 

マフィアのボスは、手下に信頼を
しているのでは無く、
いざとなれば殺すことができるし、

 

手下も、よほどのことがない限り、
そこまでリスクを犯して裏切らないだろう
という考えのもと、安心しているのです。

 

 

 

 

 

 

すると、日本のムラ社会も
同じかもしれません。

 

村八分という有名な言葉が
ありますよね。

 

村の住人は、近所の人に対して
信頼を寄せているのではありません。

 

 

 

いざとなったら
村の住人が総出で無視をしたり、
嫌がらせ、イジメが出来るから

 

そう簡単に変なことが出来ないだろう
という「安心」があるのです。

 

 

 

 

人に対して安心するには、
相互に監視をし合い、

 

異端を排除するために
コントロールできるシステムがあるから
もたらされるのです。

 

 

 

 

どこかの腐敗した
共産主義国の旧ソビエトや
ポルポト時代のカンボジアも
同じことをしていましたね。

 

全体の利益に反する人が居れば、
家族の中ですら密告して
処刑できるという制度が
つい最近まであったのです。

 

だから、どんなに貧しくとも
ある程度、体制を維持することが
出来ました。

 

 

 

 

 

何が言いたいのかと言うと、

 

 

 

 

人は変化を嫌います。
誰だって不安定は嫌です。
誰もが安心を求めています。

 

だからこそ
人の「安心・安定」のために
ガチガチにルールやシステムで
固めてしまったので、

 

 

人に対する信頼余裕寛容さ
徐々に薄めていったのです。

 

 

 

 

 

 

物事には
絶対に正しいことはありません。

 

メリットには必ずデメリットが
つきものです。

 

コインの裏表のようなもので
切っても切れません。

 

 

 

 

 

安心のために作った
システムやルール、仕組みに
頼り切ってしまったために、

 

人は人に対する洞察力を
無くしているのです。

 

 

 

「この人はどんな人だろう?」

 

 

「なぜ、このような行動を取るのか?」

 

 

「何を考えているのだろう?私とは違う」

 

 

 

などと、
相手を理解しようとする努力もせず、

 

システムやルール、仕組み通りに沿って

 

 

 

「異物は排除!」

 

 

「嫌なら見るな!」

 

 

「無能はいらん!」

 

 

「こいつは私とは違う。
だからオカシイ奴だ!」

 

 

 

という浅はかな思考で
人間関係を考えているのです。

 

 

 

 

 

この思考停止とも言える状態が
知らずのうちに
コミュ障を形成しているのです。

 

 

 

 

システムやルール、仕組みの
本質を考えようともしない人ほど

 

「これは、こうあるべきだ!」

 

 

という固定観念が強いのです。

 

 

 

 

 

 

「君も、こうあるべきだ!」

 

いつの間にか価値観を
他人に押し付けて、

 

それ以外のことをしたら、
怒ってばかりいるのです。

 

 

 

 

 

既存の物差しに照らし合わせるだけで、
人に対する洞察力を磨く機会が
無いのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

安心を求め、固定観念に固執する人ほど

 

 

 

思慮が浅い(思考停止状態)

 

 

人の話が聞けない
 (聞いていても、相手の話が終わる前に
  すでに自分の頭の中で、次に話す答えが
  出ている)

 

 

自分のことを「好きか」「嫌いか」に敏感

 

 

1か100、白か黒かでしか判断できない
 (物事はグレーの状態、曖昧が許せない)

 

 

孤独感が強い

 

 

自分の都合の良い人しか信用しない

 

 

 

 

「信頼」を養う力を失っている人ほど
コミュ障になりがちなのです。

 

 

 

 

 

「コンプライアンス!コンプライアンス!」

 

 

「校則!規則!ルール!」

 

 

 

などと、本質を捉えようとせず、
いかにも正しいことを言って
気持ちよくなっている
石頭の人間をたくさん見てきたと思います。

 

そんな組織ほど動きが鈍く、
閉鎖的で、もちろん成果も出ていない
傾向にありますよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、
コンプライアンスもルールも
ある程度のボーダーラインを決めて、

 

道を踏み外したとしても、
潰れないようにするためにあるのです。

 

いざという時の安心ですね。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、
この安心を盲信しすぎれば、
コミュニケーションや協力が
上手くいきません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もが「安心、安定」を求めて
年功序列、終身雇用、年金というシステムが
つくられているのです。

 

 

もちろん、理想を目指した
素晴らしい発明だと思います。

 

 

 

 

ただ、それらの安心を盲信したがために
新しいことを受け入れたり、学ぶことを忘れ、

 

 

 

多くの人が
時代に合わせてアップデートすることが
できなくなってしまったのです。

 

 

 

 

 

 

 

この世に絶対不変のものは存在しません。
だから生涯かけて学び続けるのです。

 

 

 

 

どんなに経験を積み、知識を蓄えたとしても
人の話を聞いたり、学び続けなければ、

 

 

「この分野は、自分が一番知っている!」

 

 

という状態は、一瞬で過ぎ去ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

旧日本海軍の敗因は、
かつて世界一の海軍力を持ちながら

 

新しい技術、情報提供をする人間からの話を
聞かない、取り入れないという慢心のために

 

国家存亡の危機に追いやり
消滅しました。

 

 

 

 

 

人も組織も、国も
規模が大きくなるだけで
本質は変わりません。

 

聞く力と生涯かけるだけの学びこそが
コミュ障改善の1歩です。

 

 

 

普段、話をしている相手に対して

 

 

「自分は相手の話を聞いているときに
 すでに自分の頭の中では

 

 次に言う答えが出ていたのでは
 ないだろうか?」

 

 

などと自問自答するところから
確実にコミュニケーションが始まります。

 

 

 

 

 

今回もここまでお付き合いくださり
ありがとうございました。

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