良かれと思って、易しく人にアドバイスしたつもりで
指摘すると、なぜか相手に嫌な顔をされる
煙たがられる。無視をされる。怒られてしまった。

 

「自分は良かれと思ってやったことなのに!」

 

憤りを感じ、不甲斐ない思い経験をしたことがある方は

 

この良かれと思ってやっていることが、
なぜか逆効果になってしまう心理をご説明します。

 

 

他人に指摘することは、相手の自己重要感を下げる

 

指摘することは、
相手が正しいと思っていたことを否定することになり
相手の自尊心、自己重要感を下げてしまうことがあるのです。

 

人の自尊心(自己重要感)は性欲以上に強い欲求です。

 

自己重要感を下げてしまえば指摘された内容よりも、
自分を下げてきた相手に強い反感を生んでしまうのです。

 

 

逆の立場になってみると理解できます。

 

自分が太っている訳でも無いのに、
他人から「君は、少し痩せた方がいいよ。」などと、
何の脈絡もなく言われたらムッとしますよね。

仕事をしている時に、
他人から、いちいち指摘してきたり、口を挟んできたりすると
「ウルセェ!」と、心の中で叫んでしまいますよね。

 

 

同じことをしているのです。

 

他人に指摘をすることは、とてもリスクが高い行為なのです。

 

 

「指摘してはいけない!」に疑問を抱く方へ

このままだと不幸になる可能性があるから
命を掛けて、人を思いやり、助けようと思っているだけだ!

 

しつけをしなければ、仕事が回らなくなるではないか!
相手の自尊心などを考えていたら、業務が成立しなくなるにではないか?

 

相手からナメられてしまうのでは?

 

などと心配すると思います。

 

 

そんな心配が強い人ほど、自分で自分をコントロールできない人です。

 

「私が居なければ、この子は生きていけない」などと本気で思っている人ほど、
他人を支配したいだけです。他人を支配して自分の自己重要感を満たしたいだけです。

 

本来「自分が居なくても、相手は生きていける。」と、相手を信じてあげることが、
信頼関係なのでは無いでしょうか?「常に、自分のそばを離れないで欲しい」などと、
依存している自分を律するべきです。

 

「仕事が回らない」「相手からナメられてしまう」などと
考えているのならば、最初から相手のことを疑っていますよね?

 

そんな人を雇った自分の責任でもありますし、
関係を断ち切ったり、やめてもらう勇気が無い自分を責めるべきです。

 

 

例え、相手を指摘したところで、相手が変わることはありません。

 

誰もが、自分の正しさを証明しようとして意地になって
指摘されたことと真逆のことをしようとします。

 

 

会社や組織でも、恐怖でムリヤリやらせても、
クリエイティビティや仕事の意欲は各段に落ちます

 

よく命令や罵倒の多い職場では、とても非効率で
いつもピリピリした険悪な雰囲気で満ち溢れていますね。

 

そんな職場では一見、目先の利益は上げていたとしても
長期的に見れば続かず下降をたどり、
現代では、いずれ廃業の道へ淘汰されるでしょう。

 

 

 

人に指摘したくなったら?

 

指摘や教えをするには、どうすればよいのか。

 

 

 

それは

 

 

 

「あなたは〜についてどう思う?」
「あなただったら、この件はどうする?」

 

と、意見を求めることです。

 

 

 

 

 

 

指摘したい相手に意見を求め
信頼を寄せてから

 

聞く耳を持つことができるのです。

 

そこから初めて教えを
することが出来るのです。

 

 

 

 

 

そして、例え相手から出た意見に対し、
「ん?それは違うな!」
とか
「自分の経験ではそれはまずいな!」

 

と思ったとしても
その通りに行動して、失敗したとしても

 

 

生じた結果に関しては、
意見を訪ね、同意を求めた側に対して
責任を取る覚悟
を持つことです。

 

 

 

 

いざとなったら
「自分の部下の判断で犯した失敗は
その判断を承認した私の責任です」
と言える上司や

 

 

 

「自分の生徒が選んだ選択で犯した過ちは
それを許した私の責任です」
と言える先生や

 

 

 

「自分の子が決意して犯した罪は
それを信じ託した私の責任です」
と言える親に対して

 

 

 

その姿を見ている部下、生徒、子どもは

 

 

 

 

ああなったら〇○のせいだ!
こうなったのも〇○がいけないからだ!
〇○のせいで失敗したんだ!

 

と言っているような大人達に比べ
果たして舐めてかかりにいくのでしょうか

 

自分を信じてもらい
自分の失敗の責任を取ろうとしている人
本当に侮蔑の目で見たりするのでしょうか?

 

 

相手に意見を聞くことは並大抵、楽なことではない

 

確かに、命令に比べたら、断然、時間はかかりますし
じれったいと感じ、すさまじい忍耐が必要になるでしょう。

 

 

 

指摘、命令をするのなら
例え嫌われてしまっても構わない
非効率になって目先の利益でも構わない
という覚悟を自覚しなければなりません。

 

 

 

 

 

その場で相手の自尊心、自己重要感を下げ
相手の意見を恐怖で屈服させたとしても
指摘した人がいなくなった途端、

 

 

 

相手は反感を覚え、真逆の方向で進むでしょう。
なので、軍隊のように常に指摘する側が
見張っていなければなりませんし

 

長期的に見れば非効率的な
ことは理解しておきましょう。

 

 

 

 

 

ちなみに軍隊では
必ず指揮、命令をする側が常に見張っている人を
置いてコストをかけ、非効率なことをしてまでも

 

命令をする兵士達には、命を掛けて
銃撃の雨や爆撃の中をつき進んでもらうことが目的なのです。

 

 

 

 

 

並大抵な精神状態では無い人格を作り出すために
構築されたシステムでもあるのです。

 

ただ、現代において世界で最も最強のアメリカ海兵隊では
兵士の教育において体罰は禁止されています。

 

体罰は軍に必要な攻撃的人格を形成できるが、
兵の強化にはならないどころか、
自尊心を喪失させ、一時的に従順になるだけで
「反抗的な人格」を形成する

 

という研究結果から来るものだからです。

 

 

 

自尊心を下げる=強い軍隊ではないのです

 

 

なぜ他人に指摘したくなるのか

 

 

他人の悪いところが気になってしょうがなくなるのは

 

 

認識する人間関係が狭い

 

 

ことから生じます。

 

 

 

 

 

親しい友人や恋人だった人が
ある日、嫌なところが目に行ってしまう
嫌に感じてしまう

 

そんな経験を誰しもしたことがあると思います。

 

 

 

 

知り合い程度の関係、距離を取っていれば
気がつかなかったことに
気づいてしまうからです。

 

 

 

 

 

 

ある程度、人との距離が離れていれば
見つけることの出来なかった
欠点を見つけてしまったばかりに
嫌に感じ、指摘したくなるのです。

 

指摘したくなる人ほど、
認識している人間関係が
限られてしまっているのです。

 

 

 

 

 

 

また、閉鎖的な空間であればあるほど
認識する人間関係が限られ、
他人の嫌なところに目に行ってしまいます。

 

だから学校の教室や、会社の職場などが
典型的な例です。

 

 

 

 

閉鎖的な空間に人が居るからこそ
距離が近くなり、嫌なところに目が行ってしまうのです。

 

そして指摘したくなります。イジメが起こるのです。

 

 

 

 

 

指摘したくなる時は
相手との距離がとても近く、閉鎖的な空間で
相手のことで頭をいっぱいにしているから

 

かつ、自分は限られた人としか
狭い人間関係しかない 
のだと理解しておいてください。

 

 

 

 

自分以外の他人を変えることは出来ない

 

 

最後に人は誰でも、間違えないように
全身全霊で生きています。

 

そして、絶対に抜けのない
完璧な人など存在しません。

 

絶対に人間であれば
間違うこともあるし失敗もします。

 

 

 

例え、目の前に聖職者の神父や、お坊さん
マザー・テレサが目の前に現れたとしても

 

人間である限り必ず悪いところを
見つけようと思えば見つけることが出来ます。

 

神であるはずのイエス・キリストでさえ
周りから指摘され、処刑されています。

 

 

 

 

指摘することで
相手のことを変えることは絶対に出来ません

 

変えられるのは「自分だけ」です。
自分が変わることが出来れば、
必ず行動、環境、付き合う人間関係が変わります。

 

自分が変わることで
世の中が変わっていくのです。

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。

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