共感力が低い原因は論理的だからです。共感の鍛え方

共感が人間関係のすべて。高次の共感を目指す

 

共感力とは、

人の気持ちがわかる。人の痛みがわかる。
察することが出来る。

ということです。

 

他の記事でもしつこいくらいに伝えていることですが、
人が人間関係において最も欲している欲求とは、
「共感して欲しい。理解して欲しい」
という自己承認欲求です。

 

いわば、人間関係において共感が全てです。
人は共感出来ない話は、聞きたく無い。
「親しくしたいと思わない」ということです。

 

 

人間関係で求められていること

共に歩む

 

人間関係のほとんどが、
相手と白黒はっきり決着をつけることでは無く、
共感を求め合って成り立っている。
と言うことが理解出来ていれば、
以下のことはすんなりと、入ってくると思います。

 

人が好きになる人というタイプとは、
「自分のありのままのことを理解してくれる人」
「その人と居ることで、自分の価値が守られる人」

 

そんなタイプの人と居ると、
安心、安定感も得られるので居心地が良い。

 

逆に、居心地の悪い人とは、
自分の存在価値が揺らいでしまう人。
一緒に居て不安になる人です。

 

「もし、モテたい、友達を作りたい!」
などと考えているのならば、
例え相手が間違っていると思ったとしても、
絶対に指摘しないことです。

 

むしろ背中を押してあげる勢いで
相手を肯定する方が、相手は居心地が良くなるのです。

 

 

共感のデメリット

 

しかし、常日ごろから、
共感を求めようとする寄生虫のようなスタイルは、
精神的依存を生みやすく、とても不安定です。

 

人は、いちいち他人のことに興味も余裕も無いので、
自分の欲求は裏切られることになるから当然ですよね。

「正すことが出来ないので、相手のためにもならない」
「相手を怠けさせ、堕落させてしまう」

そんな心配がよぎる人もいます。

 

そもそも、
どのような場合では共感した方が良いのか?
あえて共感しない方が良いのでは?

 

 

結論から言うと、
人には誰しも共感する能力が備わっています。
共感を邪魔しているのが、論理の力です。

 

単に共感するだけでも、論理だけの人だけでなく
人が最終的に向かうべきは、
共感と論理を兼ね揃えた「高次の共感」と言うものへ目指す
ことが大切。

 

と言うことを、詳しく深掘りして伝えて行きます。

 

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共感が出来ない理由

 

先に、共感力を邪魔している原因をお伝えします。

 

「自分はアスペかもしれない」
「共感することが苦手だ」

そんな人ほど、
共感をわかりにくくしている原因の正体とは、
論理の力が働いていることです。

 

 

論理の力とは、考えることそのものです。
論理とは常に

善か?悪か?
白か?黒か?
得か?損か?

という損得勘定、利害関係、固定観念が生まれやすくなります。

 

よく誤解されがちですが、
どんな人も、生物である限り「共感」と言う能力を
持って生まれてきています。

 

例えば、
生後間もない赤ちゃんを、ずっと観察していてもわかることですが、
他の人が泣いていたり、怒っていたら、
例え言葉が通じなくとも、赤ちゃんは雰囲気を読み取り、
自分も泣いてしまう。と言うことが、よく起きます。

 

赤ん坊

 

人が、生物として生き残るために、
本能レベルで共感できる能力が、
もともと備わっているのです。

 

共感できなくなってしまう論理(考える力)とは、
相手の雰囲気を読むことよりも、
他の余計なことに意識を向けてしまい物事を読めなくなっているのです。

 

いわば、意識の偏りのせいなのです。

 

よく、人間関係を改善させたり、
自分の情緒を安定させるために瞑想が勧められているのは、
偏っていた意識を瞑想によって自覚し、落ち着かせることで、
本来の能力を取り戻していくことが目的なのです。

 

 

共感か?論理か?の二択では無い

 

もちろん、論理があるからこそ、
常に損か?得か?を考えて飢餓の恐怖を克服し、
文明や科学技術を発展させていきました。

 

損をしたく無い。
出来るだけ自分が得をしたいと考えて行動するから
石器時代とは比べモノにならないくらいの
快適な生活を送ることが出来ます。

 

 

だから
共感の方が大事です!
いやいや考える論理の方が大事です!」
などと二択で考えてしまうとオカシクなってしまいます

 

 

 

 

共感が大事だから、
全く頭を鍛えません。考えません。本を読んだり勉強しません。
というのであれば、人と共感しやすくなりますが、
その先の延長線上には望むような物質的豊かさや、成功はありません

 

共感しているけれど、人に依存したり、拘束されているぶん、
自分の時間を作ったり、自分の人生を生きることは難しくなります。

 

 

 

一方で、
論理を徹底的に突き詰めて生きていくと、
お金や地位など、目に見えるものは大概、手に入りやすくなります。

 

けれども論理で手にしたお金や地位のうえでは、
利己的な人間関係しか存在しません。

 

例え、周りに多くの人が居たとしても、
そこに居る人は、損得と利害関係でつながっているので、
本当に心と心が通じ合った人は、存在しないのです

 

 

例えば、

・「ある分野で、成功者なのに、
いざ会ってみたら、全然、羨ましくも、憧れられない人」

 

・「嫉妬でも、妬みでも、やせ我慢でもなく、
直感で、またもう一度会いたいとは、思えない人」

そんな人に過去、会ったことがある経験があるのならば、
しっくり来ると思います。

 

なぜなら、物質的な成功は収めているのに、
本人が幸せを感じて無いから。です。

 

いざお金も地位も無くした時、
周りに誰も居なくなる、表面上でドライな関係でしか、
人間関係を築くことが出来ないからです。

 

 

 

 

共感だけだと、幸せで居心地は良いけれど、
自分の人生を生きたり、成功をすることは無い。

 

論理だけだと、成功は手にするけれど、
そこに人間関係は無い。

 

では、どうすれば良いのか?
次の本題に入っていきます。

 

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共感力の本質とは?

 

単なる共感でも無く、論理の力だけでも無く、
さらにレベルの高い共感が存在します。

 

共感と論理を掛け合わせた
高次の共感。というものです。

 

このレベルの高い共感力がある人を
EQ(心の知能指数)が高い人。
と言います。

 

 

この高次の共感力を身につけるには、
まずは徹底的に論理を極める必要があります。

 

いわば論理の力で自分の感情をコントロールできる人

・感情が湧いたとき、ピタッと一時停止できる能力。

 

・感情が湧いたとしても「次の行動を、さてどうするか?」
などと論理的に考えられる。

 

・感情が湧いた時に、もう一人の自分が、自分のことを観察できる力。

以上のことがあげられます。

 

 

高次の共感の身につけ方

 

どうやって「高次の共感」を身に着けられるのか?

 

具体的なプロセスを語ると以下の通り。

 

第1段階目

 

自分の感情を自分で制御できるようになる。

 

そのために人生のどこか10年間くらいで、
本を読み込むなど、論理を徹底的に鍛える。

 

これはどういうことなんだろう?
なぜ、こうなんだろう?などと、徹底的に鍛えまくる時期が、
どうしても必要になります。

第2段階目

 

自分の心を自分で観察できるようになる。

 

自分が感じていること。考えていること。
それをもう一人の自分が第三者のように観察できるようになる。
という状態です。

第3段階目

 

相手が何を感じているのか、自分自身で感じられるようになる。

 

ここまで来ると、
人の顔を見て、だいたいわかる。

 

今この人は幸せなのか、不幸なのか。
ポジティブなことを考えているのか。ネガティブなことを考えているのか。
共感的な人なのか。論理的な人なのか。
言葉はごまかせても、雰囲気や顔までは、ごまかせない。

 

ということがわかってしまうレベルです。

以上が、単なる共感でも無い、
レベルの高い(高次の共感)を身に付ける流れになります。

 

もちろん、
これらの段階はショートカットすることが出来ません。

 

なぜなら、自分が自分に対して出来ることしか、
他人に対して、してあげることが出来ないからです。

 

 

以上の前提を知っておくことで
すぐに高次の共感を身に付けることが難しくても、
「薄っぺらい外ヅラだけの共感をすればいい」
などと言う考えでは無く、共感の本質が理解できると思います。

 

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。

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