「どうせ皆、わかってくれない」けれど、理解してもらう努力は必要

「どうせ皆、わかってくれない」けれど、理解してもらう努力は必要

 

「他人は変えられない」

 

「話し合っても、いつまでも平行線」

ということは事実です。

 

しかし、最初から
「理解してもらう努力」を放棄する
というのは、違います。

 

深掘りして伝えていきます。

 

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周りに理解されない時の心理

 

「どうせ皆、わかってくれない。」

 

「バカは相手にするな」

 

「周りの目なんて気にするな」

というスタンスで、
ひたすら目の前のことに集中する努力家なら、
必ず経験することだと思います。

 

「組織を変えよう」

 

「世の中を良くしよう」

などと、社会に対しての信念が大きければ大きいほど、
多くの人から誤解を受けることになります。

 

だから、誰にも理解を求めようとはせず、
ただ一人、黙々と突っ走っていく

 

ひと昔の杉山も、この姿をカッコいいと感じ、
自らも実践した体験があります。

 

 

 

 

しかし、心の内側では、

「自分の思想、信念、夢を理解できるはずが無い」

と、心の中で人を見下していたのです。

 

実際に口に出さずとも、態度や雰囲気から読み取られ、
さらに誤解や反感を買うことになるのです。

 

仲間になるはずだった人さえにも、
誤解されて敵になるということが、よくあります。

 

理解されなくても、最初から「理解してもらう努力」は放棄してはいけない。

 

人に理解をしてもらおうと、
どんなに頑張っても相手は完全に理解してくれません。

 

だからと言って、
「どうせ何言っても無駄だろう」というスタンスで、
最初から「理解してもらう努力」を放棄するのは、間違いです。

 

 

 

努力した結果、理解されなければ、
それで良いのです。

 

理解されないからと言って、
無理に相手を変えたり、コントロールする必要もありません。

 

 

何が言いたいのかというと、
職人気質な日本人特有の

「見た目や体裁なんて、意味が無い。大事なのは内面だ」

 

「言葉を使わず、背中を見せていれば良い」

という考えが、
別に「最初から理解される努力なんて、いらない」に
捉えられてしまいがちなのです。

 

 

「見た目よりも内面」「背中を見せる」
というのは、間違ってはいません。

 

ただし、それは理解されようと、
努めた相手に対して有効なのです。

 

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多くの人は見た目で判断する仕方ない理由

 

周りの99.9%の人は、
他人のことに目を向ける余裕がありません。

「自分はどう考えているか?」
「自分は、今どうなっているか?」
「自分は、何が良いか?」

ひたすら「自分のこと」に対してだけ目を向けています

 

 

「今、自分が何を考えているのか?」

自分を理解するのに膨大なエネルギーを消費しているのに、
いちいち出会う人の内面なんて、見てられないからです。

 

だから周りの99.9%の人は、
外ヅラを見て、判断するしかないのです。

 

思考停止で、思慮が浅はかな訳では無いのです。

 

 

※余談ですが、0.01%くらいの確率で、
ごく稀に、人の内面を見ようとする人がいます。

 

そんな人ほど「経済的・精神的な余裕」を持ってます。
自分に対してエネルギーを割く必要が無いから、
他人の内面を見ることが出来るのです。

 

 

人に理解を求める努力のコツ

 

今まで、最大限の勇気を振り絞って、
人に理解をされようとしたけれど、
門前払いのようにあしらわれてしまった。

 

そんな人ほど、単に場数が足りなかっただけか、
あるコツを知らなかっただけなのかもしれません。

 

あるコツとは「メンツの気遣い」です。

 

 

メンツとは体面やプライドのことを言います。

 

例え正しいことを言ったとしても、
メンツを傷つけられれば、誰だって反感を買います。

 

感情が嵐のように荒ぶってしまい、
とても冷静に「相手を理解しようとする」余裕なんて
湧き出てきません。

 

 

以下、喩え話をします。

 

「裸の王様」というストーリー

アンデルセン童話の「裸の王様」という物語の話をします。

 

 

詐欺師

「これは愚か者には見えない服」

という触れ込みで王様に献上されます。

 

王様にも家臣にも、その服が見えません。
もちろん、詐欺師は服など用意してないからです。

 

王様は、見えないと言い出せず、
あるはずも無い「服」を着て、裸姿でパレードをすることになります。

 

 

 

パレードを見物する民衆の誰もが、
裸の王様を見ても「裸だ」とは言えない空気になり、
「なんと美しい衣装だ!」と褒めちぎります。

 

そんな中、一人の子供が大声で叫ぶ。

 

「王様は裸だ!」

 

 

 

王様も家臣も、民衆も、あたりに気まづい雰囲気が
流れる中、パレードは続いていく。
というストーリーです。

 

 

王様は、自分がバカだと思われたく無いと言う
メンツを気にするあまり、
詐欺師の嘘を嘘だと言うことが出来ず、

 

家臣も民衆も、
自分の体裁を気にして「王様の間違い」を
指摘することが出来ない。

 

 

メンツや体裁のせいで、
どんどん「間違い」を広げていくが、

 

唯一、メンツや体裁を気にしない子供だけが、
王様の間違いを指摘できた。

 

ということが例えられています。

 

王様に大恥を書かせては、ならない

 

現代社会では、
子供のように「王様は裸だ!」と言ったら、
民衆の前で王様のメンツを傷つけることになるので、
血祭りにあげられると思います。

 

正しいことをしたのに関わらず、

「空気が読めない奴」「協調性が無い」

と、ボコボコにされます。

 

 

 

 

それでも、
誰かが「王様に対して裸である」という
ことを言わなければ、詐欺師に騙され続けます。
王様は大恥をかき続けることになります。

 

だから、子供のように「大勢の前で指摘」をするのでは無く、

「みんなが居ないところで、こっそり教える」

などと、王様のメンツを気遣う必要があります。

 

これが「理解を求めるために必要なコツ」です。
メンツを気遣うコツ」です。

 

 

もちろん、
「裸である」ということを教えてもらって、
そこから先をどうするかは「王様」の判断になります

 

 

まとめ「めんどくさい」が、長期的に見れば上手くいく

 

今回、お伝えしたことをまとめます。

 

「人に、どう思われようが、構わない」

というのは、とても勇ましくカッコイイと思います。

 

だからと言って、
「相手に理解を求める努力」をしなくて良い
という訳ではありません。

 

 

さらに、理解を求めようとする時に、
「相手のメンツに気遣う」ということをしなければ
いけないので、非常にメンドくさいことです。

 

 

それでも、

相手にわかってもらう最善の努力を尽くした結果、
わかってもらえなければ「どう思われようが、構わない」

 

長い目で見ると上手くいく確率がグンと上がります

 

 

大きな物事を成し遂げようと努力している人は、
人間関係の力学に悩まされることは多いと思います。

 

その際、今回の攻略法が、役に立てるはずです。

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。

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