どうしても許せない人の忘れ方|執着を手放す

 

何年、時を過ぎても、
嫌な記憶を植え付けた相手の顔がフラッシュバックしてしまい、
怒りが沸いて、目の前の仕事にすら手がつかない。

 

そんな悩みを解決すべく、
解決方法を心理学的アプローチをしていきます。

 

 

結論を言うと、

許せない人 = 執着(自分にとって重要人物 )

であるということ。です。

 

 

 

例えば、

 

幼児から悪口を言われたり、
動物園のチンパンジーからモノを投げられても、
だいの大人が、本気で傷つき、
幼児やチンパンジーを許せない人
には、なりませんよね。

 

自分にとって重要人物だと捉えている人からしか、
「許せない人には、ならない」

ということです。

 

 

 

もっと極端な例を言うと、
ペットの前で、自分の見られたくない裸を
さらけ出したとしても、
恥ずかしいとは、思いませんよね?

 

なぜ、人間になると「恥ずかしい」という感情が
沸くのでしょうか?

 

ペットよりも、

人間の方が「自分の見られたくない裸」を見られたらヤバイ。

と、思っているからです。

 

この心理を活かし、
「許せない人」の忘れ方を深堀していきます。

 

Sponsored Link

 

 

感情は、執着から生まれる。

 

「許せない人」を重要人物だと思わないくらい、
自分と同じ次元に捉えない。

ということが必要になります。

 

これは自分の価値観、物差し
ガラリと変えるくらい高度な方法だと思っています。

 

 

ひろゆき氏の

自分は自分、バカはバカ。 他人に振り回されない一人勝ちメンタル術
という書籍にも
フラッシュバックの消し方に触れられており、

「許せない人」「傷つける相手」を犬(動物)だと思え。

ということが書いてあります。

 

ひろゆき氏は、どんな高い地位の人物だろうと、
テレビや多く聴衆の人が見ている前でも、
言葉使いや、態度を変えることはありません。

 

あまりにも堂々としているので、

 

人を動物だと思って接しているのではないか?

 

どこか人を小バカに見下しているようで、
なんか好きになれない。

という人も多いはずです。

 

 

ひろゆき氏本人は、人を見下している訳でも無く、
心の底から、目の前の相手を
重要人物だと捉えていないのです。

 

例え、相手から嫌われたとしても、
自分にとって重要人物だと思っていないので、
「悔しい」「傷つく」という感情が沸き出てこないのです。

 

「心が傷つく」ことも無いので、
「人を憎む」ということもしません。

 

 

一度は「心を開いた相手」しか恨めない

 

 

好きの反対は嫌いでは無く無関心である。

という言葉だけを知っていると思います。

 

 

 

威厳をきかせているような人

 

リスペクト(尊敬)していた相手

 

・少しでも好意を抱いていた

もともと、
そんな人だったのかもしれません。

 

そのような人物からしか、
自分を傷つけることは出来ません。

 

 

例えば、そこらへんの、
みず知らない酔っ払ったホームレスのオッサンから、
悪口を言われても、その場はビックリはするでしょうが、

「絶対に許さない」「1000年の恨み!」

などと、何十年も感情を引きずることはありません

 

かつては、心を開いた相手からでなければ
「恨む」ということは、しないのです。

 

 

なぜ「許せない人」は「理解してくれないのか?」

 

 

「むかいついた」

 

「死ぬほど恥をかいた」

 

「再起不能なまでに、してやられた!」

というのは、
自分だけしか感じることが出来ません。

 

自分を辱めた相手に、気づかれることは
決して出来ません。

 

 

「気づいてくれ!私は、こんなに傷ついているのだ!」

などと願ったりしても、
自分以外の他人は、誰も興味がありません。

 

覚えてすらいません。

 

 

 

 

例えば、

今、頭の中で「人」を思い浮かべてみてください。

 

親しい友人や家族、親戚でも良いです。

 

 

その思い浮かべた「人」の
「すごく恥ずかしい体験談」を思い出してみてください

 

と言われたら、思い出せますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

99.9%、不可能だと思います。

 

「他人の過去の恥ずかしい体験について」
年がら年中、考えることなど、
出来ないはずです。

 

基本的に
人は、自分のことしか考えていないのです。

 

 

自分が他人の過去を思い出せないように、
他人が「自分の過去」に時間を割くことは出来ません

 

 

 

 

過去の記憶は、
現在の自分にとっては関係の無いことだ。

 

他の誰も、自分のことになんて興味がない。

以上のように、
文章に起こすと簡単ですが、

 

なぜ周りの人は、困っている自分を見てくれないのだろか?

 

日本人は、情が無い。冷たい。

などと感じている人は、忘れている証拠です。
要注意です。

 

 

もう一度、問いますが、

 

「あっ!○○さんは今、
過去の記憶のことで苦しんでいるんだな!」

などと、想像できますでしょうか?

 

今の自分に、そんな余裕は無いと思います。

 

許せない人も、他の人も、
こういう感覚です。

 

Sponsored Link

 

またフラッシュバックしたら?

 

ここまで論理的に理解しても、
我々は人間ですので、
また「許せない人」の顔が思い浮かぶことがあります。

 

頭でも理解しているけど、
すぐにまた、フラッシュバックしてしまうから、
これを読んでいるのだと思います。

 

なので、

・フラッシュバックをポジティブな道具にする。

 

・メタ認知療法

という手法についても、触れておきます。

 

 

フラッシュバックをポジティブな道具にする。

 

自分のために生きても「自責思考で誰かを助けられる」
という記事(中盤あたり)でも触れましたが、

 

フラッシュバックした時、

今の「自分は、未熟な他責思考である。」
ということをお知らせしてくれているのだ。

というポジティブな瞬間でもあると、
道具にすることを、おススメします。

 

その環境、人間関係、選択を取ったのは
紛れもなく自分である。

 

それを「誰々のせい」などと、
逃げに甘んじている。

 

 

「過去は変えられない」とわかっているのに、
「過去のせいにして」現状を変えようとしない自分が居る。

 

ということに気づかせてくれている
便利なアラームのようなものです。

 

メタ認知療法

 

スピリチュアル的な色が強いので、
抵抗がある方も多いとは思いますが、
紹介しておきます。

 

 

 

前提として、
許せない相手を思い出して徹底的に痛めつけたり
コテンパンにするイメージは、やらないでください。

感情は、意識すれば広がる

という傾向があるので、

 

余計に許せない相手の顔が
脳に焼き付いて記憶が強くなってしまいます。

 

よく、ヤケになって大きな事件を引き起こしてしまう人ほど、
頭の中で、事件を起こしている自分を強くイメージしています。

 

そのイメージが、脳内だけでなく、
現実世界においても、引き寄せるように、
行動してしまうからです。

 

 

自分も「許せない人」になっていないか?

 

 

イメージトレーニングは内容は以下の通り

過去の嫌な人やってきた部分は
私、自分自身の中にあります。

 

その自分をゆるし、受け容れます。

 

 

 

許せない人と同じ部分が
私の中にもあるということを認めます。

 

そして、その自分を許し、受け入れます。

以上のように、
念仏のように唱えます。

 

この念仏の意図は、きちんと理由があります。

 

 

 

例えば

 

「無視をされて、酷く傷ついた。ムカついた」
という経験があったとします。

 

 

その時に、以下のようなことを
自問自答してみてください。

 

自分でも誰かを無視した経験は、
過去に一切無いと言い切れますか?

 

自分より立場の低い人間に対して
無視をした経験はありませんか?

 

 

忘れているだけで、よくよく考えたら、
自分を傷つけた人と同じようなことを、
過去の自分にしたことがあるのでは?

 

 

 

 

 

もう1つ、例えを出します。

 

「バカにされた経験があり自分は傷ついた!」
という経験があるとします。

 

 

 

そして、以下のように唱えます。

 

自分も「別の誰か」を心の中で
バカにした経験は一切無いと言い切れますか?

 

 

自分が心の中でバカにしている時、
その場では口に発していなくても、

 

相手は内心、
「あ!コイツ、私のことをバカにしてるな」
と思われていたのではないでしょうか?

 

相手の心の中では、ひどく傷ついていたかもしれない。

 

 

自分が忘れているだけで
「許せない人」と同じようなことを自分は、
一切してこなかったと断言できますか?

 

以上のように、
何が言いたいのかと言うと、

 

自分の中にも「許せない人」と同じ要素が
自覚できていないだけで、必ず存在します。

 

自分の中にもダメな要素があるから、お互い様

自分に対して、問いかけている訳です。

 

念仏を唱える意味

 

「念仏を唱える」行為そのものが、

いつも「私が…私が…」

などと、自分のことで頭をいっぱいにしている状態から、
いったん離れてメタ的な思考になる。手法です。

 

 

 

悔しさと、正義感から、
「許せない人」に対して「仕返し」をするように、
「相手にわからせる」ということをしがちです。

 

しかし、本人が「誰かを傷つけている」ということを
自覚していないので、根本原因は変わることはありません。

 

環境、場所、付き合う人を変えて、
自分の知らないところで、
また同じことを繰り返すことになるからです。

 

 

いざ念仏を唱えると、

自分ですら「自覚」出来ないのに、
どうして「人を変えよう」するのか?

 

自分のことを棚に上げて、
他人を指摘する資格はないだろう。

他人をどうにかしようとする、
やる気も起こらなくなると思います。

 

 

まとめ

 

「許せない人」ほど、自分にとって、
未だに重要人物である可能性が高いのです。

 

執着の根本原因を自分で気づいた時
「許せない人」が自然と、記憶から消えていきます。

 

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。

トップへ戻る