「死にたい」と思ったときの心理「相談を受けた時、どうすれば良いのか?」

「死にたい」と思ったときの心理「相談を受けた時、どうすれば良いのか?」

 

非常にデリケートなテーマですが、
結論を申しますと、
誰もが「死にたい」という気持ちに
ならなかった人などいません。

 

それでも、
「死にたい」という感情が脳裏をかすり
本当に自ら命を絶ってしまう人はいます。

 

 

「…………」

 

 

 

本題に入る前に、
本気で悩んでいる人に対して、
軽々しい言い方にならぬように、
自分のことを話しておきますが、

 

杉山自身、過去に
自殺した友人を2人ほど見てきた経験が
あります。

 

そのうち、1人は
死ぬ2日前まで普通に話をしていました。

 

それから連絡に出なくなったので、
自宅に駆け付け、窓こじ開けて入り、
死体を発見した経験をしました。

 

それから、

「あの時、こうしていれば、
 助けられたかもしれない」

 

「こうすれば、
 彼は生きていたのかも…」

 

などと、
を常にグルグル頭の中を思考を
駆け巡る思いで心理学、哲学、精神医学を
学び、分析していった結果を
お伝えしていきます。

 

 

 

本当に死んでしまう人の条件

 

友人や家族から
「死にたい」という相談を受けた時、
どう対処すれば良いのか?

 

どう気を使ったらよいのか?
「頑張れ」とか、言ってはダメなのか?

 

中二病をこじらせてフザけているのか?
このまま甘やかしておいて良いのか?

 

誰もが思う疑問です。

 

まずは、
本人の状況によって、
対応が全然変わってきます。

 

 

人は「死にたい」と思っても
生物学上、簡単には死ぬことが
出来ないようになっています。

 

「死」を試みたところで、
思いとどまってしまうことが
ほとんどなのです。

 

「本当に死んでしまった人」ほど
衝動的な行動が一番多いのです。

 

 

・孤立感
・罪悪感
・自傷行為の経験

 

この3つの要素が重なったとき、
高いリスクで「自殺の行動」を取る
とされています。

 

非常に危険な状態で、
専門家や医師の力添えが
必要になってくるのです。

 

 

逆に、それ以外ならば、
相談を持ち込まれても、
対処可能なのです。

 

 

手を差し伸べるうえで、やっていけないこと

 

手を差し伸べるうえで、
一番やっていけない
のが、

「助けてあげる」

という、
相手と自分で、
「立場が上か?下か?」

 

などと、
パワーバランスを発生させてしまう
考え方です。

 

 

相手に手取り足取り
足並を合わせ、傷の舐め合いのような
ことをしてしまうと、

 

相手を助けようと手を差し伸べた
ところ、自分まで「病んでしまう」
という状態になってしまうのです。

 

 

また、
相手にとっても「自立」の機会を奪い、
依存」という関係になるのです。

 

「助けてくれる人がいないと
 生きられない」

 

というのは望ましくありません。

 

 

「話を聞けるのは、○○分まで」

 

「自分に出来ることは、ココまで。」

などと、
出来る範囲ボーダーラインを決めて、
相手に伝えることが重要です。

 

 

 

 

深く病んでしまっている人ほど、
「視野が狭くなり、物事を0か?100か?」
で捉えがちです。

 

ただ居るだけ、
余裕を持って接しているだけでも

 

相手に
自分は、全くの0では無い
という状況を作ってあげることが
最も重要なのです。

 

参考

 

 

「死にたい」という心理

 

「死にたい」という感情は、
いわば、
楽しいことがあったら生きていたい
という心理の裏返しです。

 

 

「死にたい」と思えるほど、
自分の人生に一生懸命に生きている
という意味でもあります。

 

努力家で頑張り屋、
そんな人ほど「死にたい」という
感情になりやすいのです。

 

 

意外かもしれませんが、
起業家思考の人や野心家の人ほど、

 

誰よりも「死にたい」という
感情を抱いているのです。

 

「年収○○〇万円は稼ぐ!」

 

「本来の自分は、コレだ!」

 

「大望を抱いている!」

 

「世の中は、こうであるべき!」

という感情は、プライドです。

 

 

そのプライドに
自分が押しつぶされないように
自尊心(自信、セルフイメージ)が
支えてくれているのです。

 

 

いつも上り調子の世界など
ありえるはずも無く、
業績が良くなかったり、
トラブルや壁にぶち当たる経験は、
必ず起こります。

 

 

 

その際に、
「自分はダメかも…」

 

などと思った瞬間、
自尊心(自信、セルフイメージ)が
小さくなり、プライドに潰されてしまう。

 

「死にたい」

 

という感情が沸き起こるのです。

 

 

プライドが大きければ大きいほど
潰される重りは大きいものに
なるのです。

 

 

『プライドを小さくしろ』
などと言うことはしません。

 

大事なのは、
自分を支えてくれている
自尊心(自信、セルフイメージ)との
バランスは適したものか

 

「虚勢を張って、
 プライドばかり大きくしてはいないか?」
自問自答する必要があるのです。

 

 

一度も「死にたい」と思わない人生は、幸せか?

 

極論すぎて、
反感を買うかもしれません。

 

杉山自身、
「死にたい」という感情が沸くことを
ネガティブに捉えてはいません

 

※もちろん、本当に死ぬという
 ことではありません。別の話です。

 

 

むしろ、
「いつも、ハッピーだぜ!」
「私に怖いモノは無い!」

 

などと、
いつも真顔で言っている人ほど
危なっかしいものは、ありません。

 

 

一度も「死にたい」という感情が
沸かなかった人ほど、

・人生がぬるま湯である。

 

・本気で生きていない(無気力)

 

・挫折、失敗を経験しないほど
 何も挑戦したことが無い。

ということです。

 

 

杉山の個人的な趣向ですが、
そんな人種が嫌いです。

 

無気力かつ、
何か不条理があっても戦おうとする
どころか、見て見ぬフリ。

 

信念も無く、
その時の都合で有利な勢力につく
事大主義

 

そのような人間が
カッコ良いのでしょうか?

挫折、失敗も経験しない人の
話す言葉には、重みは無く、
後世に何も伝えられない。

 

寂しい人だ

などと、
思っています。

 

 

極論なので、
全員の人に当てはまるとは、
言いません。

 

なかには、
周りの人には「ぬるま湯」
「既得権益にすがる」ように見えても、

 

本人にとっては、
家族や守るべきものがあるから、
我慢しているのかもしれません。
そんな人も居ます。

 

 

 

反省ですが、我ながら、
他人の生き方に評価が出来るほど
落ちぶれてはいません。

 

どちらかと言うと、この考え方は、
起業家や野心家、芸術家の人に
エールを送るつもりで述べさせて
頂きました。

 

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。

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