自分は「完璧だ」と思った瞬間に「やる気が無くなる」メカニズム

自分は「完璧だ」と思った瞬間に「やる気が無くなる」メカニズム

 

日々、知識やスキルを身に着け、
情報発信をしていくなかで、

 

今の自分は完璧だ
「マスターした!」と
思った瞬間に
「ヤル気が無くなる」
という経験をしました。

 

しばらく悩み、
自ら自己分析した結果を
お伝えしていきます。

 

 

 

「自分は完璧」なのだから
失敗してはいけない。

 

「自分は完璧」なのだから
間違ったことをしてはいけない。

 

「自分は完璧」なのだから
薄っぺらいことを発信しては
いけない。

 

などと、
「○○してはいけない」
という強迫観念
自分の行動を鈍らせ、
「ヤル気」を奪う

 

という心理状態に陥っている
パターンが多いのです。

 

 

 

年齢関係無く、
ある程度の地位、ポジションを
獲得した人

 

「ミス」「失敗」を極端に恐れるように
なり、新しいことに挑戦しなる
傾向が良い例ですよね。

「初心の頃にあった
胸の内から沸き起こるような情動
なぜ、出なくなってしまったのだろうか?」

そんなモヤモヤといつまでも
悩み続けてしまうのです。

 

 

 

そんなこんなで、
人は行動しなくなれば、
そこから成長しなくなり、

 

時間と共に廃れていくので、
どんどん後発に抜かれていく
「恐怖」に怯え続けるのです。

 

 

それが嫌だから、
自分を守ろうと「既得権益」を作って、
上手く行っている人を潰しにかかる
『老害』に陥るのです。

 

 

そんな人間に
絶対になりたく無いですよね。

 

 

 

完璧主義が、
自分の首を自分で締めていた

 

ならば、
完璧主義をやめれば良い訳です。

 

「初心に帰る」
という言葉はあるように、

 

「無知の知」

という言葉があります。

 

 

 

自分は、経験を積み、
誇れるくらいの技術をつけてきた。
確かなプライドがある。

 

それでもなお、
「自分は何も知らない」
「未熟だ」

 

 

この考え方は、
当時、学問では誰にも認められていた
古代ギリシャのソクラテスという人物が
言い出したものです。

 

学問を極めたソクラテスは、
誰の目にも「完璧」だと思われて
いました。

 

しかし本人は、
「完璧」だからこそ、そこから
「何も学ぶことが無くなってしまった」
ということに気がついたのです。

 

学ぶことが何も無い
というのは哲学者、科学者にとって
絶望的なことです。

 

「学ぶことが何も無い」のは、
「自分がすべてを知っている」などと
考えてしまっているから。

 

だから、いっそのこと、
自分は、そこらの子どもよりも
物事を何も知らない。

 

という考え方で、
子どもや、学の無い人、
哲学や科学とは無縁の人からも、
教えを請うという姿勢で腰を低くし、

 

耳を傾けられたから、
新たな学びを続けることが出来たのです。

 

その姿勢を見た多くの人が、
ありとあらゆる哲学者の中から、
「ソクラテス」だけは偉大な人物だと
数千年かけて、現代まで受け継がれてきたのです。

 

 

 

杉山自身、「完璧になった」とは
言いませんが、
急に「ヤル気が無くなる」
ということがよく起きます。

 

こうしてブログを書くことさえも、
苦痛になってしまったことも
あります。

 

・一時は、「飽き」というものが
 訪れたのか?

 

・身体、精神の具合が
 悪くなってしまったのか?

 

・単純に、楽しく無いのか?
 自分の天職では無かったのか?

 

なぜ?なぜ?なぜ?と、
自問自答していたら、
それは、とてもシンプルな答えが
見つかりました。

 

 

心の奥底で、

「これだけ時間をかけ、
 本を読み、知識をつけたのだから」

 

「自分はもう大丈夫」

などと、
思っていたのです。

 

 

この考えが

今日は何も書くことが無い
(下手な情報は、発信できない)

 

勉強する気力が沸かない
(自分の方が、物事を知っているから、
 誰かの本や動画は、興味無い)

 

ヤル気が出ない
(ある程度デキるのだから
 そんなに熱くならなくても良い)

 

などと、
完璧主義とまでは行かなくても、
「何もやる気がしない」という状態を
招いていたのです。

 

 

ブログや学びを始めた初心の頃の
「やる気、情熱」のようなものを無くし
それを取り戻そうと、

 

全く的外れなことを考え、
モヤモヤして、自分の首を締めていたのです。

 

 

「自分は未熟である」

この考えに戻るだけで、
自然と「やる気」は後からついて
来るということに気が付きました。

 

 

 

急に大きな話になってしまいますが、
触れておきたいと思います。

 

日本の「失われた20年」
(もうすぐ30年)
と言われるように、

 

これだけIT、インターネット、AIが
普及しているのに関わらず、
90年代以降、成長していない。
日本全体が元気が無い。

 

電子化に取り残されているのが
典型的な例ですよね。

 

 

 

別に、
「日本がダメだ」とか、
「最近の若者は怠けている。」
などと言いたい訳ではありません。

 

 

もちろん、

・デフレ経済のせい(政府発表)
・企業が画期的な商品を生み出せない。
・少子高齢化のせい
・既得権益が邪魔して、新産業に投資されない

などなど、
さまざまな理由があるにせよ、

 

高度経済成長時の「完璧さ」が
「挑戦」することに恐怖」を
抱かせている理由が主な理由だと思います。

 

 

もちろん、
企業は、従業員の生活、命を
抱えている訳ですから、
軽はずみに失敗してみて、
会社を潰す訳にはいきません。

 

たとえ成長しなくとも、
「会社を潰さない」というのは、
賢い経営だと思います。

 

 

ただ、
明らかに、企業だけでなく
全国民、人々のマインドが、

人生、老後まで失敗してはいけない。

という「完璧」な人生設計が、
一度レールを外れることに対して
「恐怖」を抱かせ、

 

かつ、

 

やる気を無くす原因
を作っているのです。

 

 

 

 

誰かが考えた

就職して、老後は安泰にする

という、
完璧な未来予想図が、

 

人生を快適に、安心に。
という思惑だったものが、
悪い方に向いているとしか思えません。

 

 

失敗するのが怖い
やる気が出ない
という空気を日本全体に
覆いつくしているのだと思います。

 

 

 

安心を優先し「やる気の無い人々」は

 

「調子のよい人」
「儲かっている人」
「突出している人」

そんな人に対して

アラを探し足を引っ張って
鬱憤を晴らす空気感を作っているのです。

 

 

 

誰でも、
「失敗しても良い」
という考えがどこかに無ければ、
「挑戦できません」

 

 

「完璧な情報しか流してはいけません」

などと言われたら、
ブログやユーチューブ、情報発信すら
ウッと固くなって、
何も出来なくなります。

 

 

 

 

個人で流す情報すら「完璧であるべき」
などと、誰が決めたのでしょうか?

 

もう一度、
初心に戻る必要があります。

 

初心に戻る心が、
肩の力をゆるめ、
気合、根性、無理をせずとも
自然とやる気が出てくるのです。

 

 

今回もここまでお読みくださり
有難うございました

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