思考停止が良い時、考え込んだ方が良い時の『違い』疲れない思考法

思考停止が良い時、考え込んだ方が良い時の『違い』疲れない思考法

 

考えすぎだから、うつ病や病気になったり、
何も行動できなくなるんだ!

 

考えない方が良い!」「思考停止悪くない!」

という情報と

 

思考停止は危険だ!
気づかぬところで、誰かに支配、洗脳されていたり、
みんなと同じように流され、搾取されてしまう。

 

考え続けろ!」

という情報。

 

 

両方の意見が入り乱れ、
混乱する人が多いかと思います。

 

結論から言うと、

いわば「考える」という行為は、
道具(手段です。

 

道具とは、
良いことに使えば、良い結果を生み出し、
悪いことに使えば、悪い結果をもたらします。

 

 

包丁という便利な道具は、
料理に使えば、我々の生活を豊かにしますが、
人殺しに使えば、逮捕されますよね。

 

 

「考える」という道具も同じです。

 

「考える」という道具も、
ポジティブな使い方、ネガティブな使い方が
存在するのです。

 

どんな時考えて、
どんな時は思考停止したほうが良いのか?

お伝えしていきます。

 

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「考えることが意味が無い」分野は存在する

 

「考える」ことが意味が無い分野は存在します。

 

何か新しいことを始めようとした時、
「考えこむ」ことが「悩み」に変わってしまう
からです。

 

「悩み」とは、
やらない理由探し」に他なりません。

 

考えれば考えるほど、
泥沼の渦の中にハマって、
その思考から抜け出せなくなってしまいます。

 

 

解決不能なことは、考えない方が良い

 

「なぜ、あの人は、こんなことを言うのか?」

という悩みも、典型的ですよね。

 

 

自分以外の他人を変えたり、
コントロールすることができません。

 

自分の努力では、解決することが不可能なことを
考えれば「悩み」に変わり、
何の生産性も無い、時間とエネルギーを浪費する
無限ループに迷いこむことになります。

 

タチの悪いことに、
この無限ループの時間が長ければ長いほど、
身心の病気を引き起こしてくるのです。

 

 

このような分野を、

「考えなくて良いこと」「思考停止して良いこと」

と、言えます。

 

 

「考えることがデメリットになる時」まとめ

 

 

結論から言うと、

自分では、どうにもならないこと全般

です。

 

わかりやすい例で言うならば、

 

「台風が来る、地震が来る」

などと、自分1人の力ではコントロール出来ないことを
考えることは、時間とエネルギーの浪費です。

 

 

同じように、

事故に会うかもしれない、病気になるかもしれない

というのは、保険に入ったり、不摂生をしないことで
ある程度、対策は出来るかもしれませんが、
それ以上、考えてしまうのは、
自分の力でコントロールできない領域になります。

 

 

現状が駄目な時の「未来」の不安

 

今、現在が上手く行っていない人が

未来について悩むこと

も「考えることがデメリット」になる分野です。

 

 

誰も、未来を予測したり、
コントロールすることは出来ません。

 

 

未来を心配するよりも、
まずは「今に集中し、今を良くすることに
全エネルギーを傾けなければなりません。」

 

ましてや、現状が望む結果を得られていない人が、
未来を予測したり、当てようとすることは、
経験上、エネルギーの浪費でしかありません。

 

なぜなら、

未来は、いま現在の延長線上

だからです。

 

未来は、今の積み重ねでしか無いので、
「未来が良いか?悪いか?」を考えるよりも

「今をどうやって良くできるか?」

を考えた方が、よほど未来は確実になります。

 

現状が上手く行っている。好調の人が初めて、
足元を救われないようにするために、
未来を予測することにメリットを感じられるのです。

 

 

「他人のこと」に悩むことほど、無限ループなことは無い。

 

他人に、自分は、どう思われているかどうか?

繰り返しますが、
自分以外の他人をコントロールすることは出来ないので、

 

どうにか出来ない他人のことを考えても
何も解決することはありません。

 

 

他人の問題に関与しない。
自分の問題に、他人を入り込ませない。

さすれば、おおかた人生の悩みは消滅する。

 

詳しくは、アドラー心理学を扱った、
「嫌われる勇気」がとても参考になります。

 

 

 

 

考えることが「メリット」になること

 

では、「考える」という道具は
どんな分野で効果を発揮するのか?

 

計算式を解いたり、文章を考えたり、
問題解決を模索したり…

 

などと以下、
事例を紹介していきたいと思います。

 

皆が当たり前に思っている固定観念

 

世の中の当たり前のこと。普通だと思っていること。
難しい言葉で「固定観念」と言います。

 

普通は考えないような固定観念に対して、
メスを入れるように「考える」という道具を使います。

 

 

例えば、
なぜ「結婚式」や「お葬式」で、

大きなお金をかける必要があるのか?

自分で公共施設を借りてホームパーティーみたいに企画して、
安く抑えることは、なぜ出来ないのか?

 

そこからブライダルにまつわることを調べてみると、
何にお金がかかり、何に手間がかかっているのか?

 

そこから深く掘り下げて調べると、
既得権益、業界、お金について詳しくなったり
誰もが気づいていない穴に気づき、
ビジネスチャンスになることさえ気づきます。

 

 

広告やチラシ、アート、文学、誌、映画

 

これらは、街中には至るところに存在するので、
「考える」ネタに尽きないと思います。

 

 「なぜこれは、こうなっているのか?」

 

 「なんの意味があって、この色を使っているのか?」

 

 「なぜこの文字は、こんなところに配置されているのか?」 

 

漫画で言えば、
なぜこのキャラクターは、次のコマでは逆を向いているのか?
他のコマ割りは、長方形なのに、
なぜ、このコマだけは、デカく縦長なのか?

 

 

考えることで、筆者の意図や、
今までスルーしていたことを気づくことが出来ます。

 

 

アートや文学、誌、映画は特に、
ボーッと長し見をしていても楽しめるものですが、
「考える」ということをしたとき、
感性(センス)を磨いたり、
制作者の気持ちに立つことも出来るのです。

 

 

「こうだったらいいな」を、どうやるか?

 

「こうしたいな。ああしたいな」

 

「あんなこといいな。こんなこといいな」

 

ドラ●もんでは無いですが…
理想や夢、妄想に近いことを考えると、
人は「やる気」の活力を取り戻します。

 

 

その妄想を叶えるために、
細かく細かく、細分化していきます。

自分が求めていることを、どうやって叶えるか?

 

問題解決は、どうすれば良いか?

 

何を取って、何を捨てるべきか?

などのことを考えているうちは、良いのですが

 

 

・コントロールできない他人のこと

 

・自分では、解決できないこと

などを絡めると、
せっかくの「考える」という道具が、
「やらない理由探し」「他人の粗探し」
切り替わってしまいます。

 

「俺は深く考えている!」

という人ほど、気を付けなければいけないことです。

 

「解決できない悩み・問題は無い」は本当か?

 

まとめます。

 

考えて良い事

・当たり前に対して、メスを入れること

 

・アートや文学など、感覚的な世界に対して

 

・「こうだったらいいな」を妄想すること

 

思考停止した方が良いこと

・コントロールできない他人の思考、評価、問題

 

・未来のこと、天変地異級の自分では
 コントロールしようが無いこと

ざっと眺めてみると、
現実の自分が解決できる「悩み」に対して
「考える」という道具を発揮できます。

 

 

人は、解決できる問題しか「悩む」ことは出来ません。

 

もし、悩みすぎて病むというのなら、
それは、今の自分の解決すべき問題では無い。
ということをお知らせしてくれているのかもしれません。

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。

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