なぜ自由に生きられないのか?
この世は今までにないくらい
物質的には豊かな時代に生きています
もちろん
「昔の方が良かった」
「前の世代の人の方が優しかった」
そう言う人も居るでしょう。
確実に言えるのは、
自由に移動できる交通網が発達し、
平等に情報が与えられるインターネット、
スマートフォン、家電製品が
格安で手に入れることができます。
物質の面で見たら
科学とテクノロジーが発達し、
外の世界(物質的なもの)は
圧倒的に今の方が恵まれているのです。
50年前と現代では、
圧倒的に今の方が豊かな訳です。
にも関わらず、
自由に生きることが出来ない人と、
自由に生きている人の差では、
何か違うのか?
なぜ多くの人が
「自由に生きられないのか?」
その理由をお伝えしていきます。
目次
自由と聞いて何を思い浮かべるか?
自由と聞くと、
ポジティブな面しか見ることが出来ません。
物事には必ず
ポジティブとネガティブな面
両方存在します。
コレをすれば、一切のネガティブが
消えて無くなるというのは、
この世の中に存在しません。
自由の裏側には必ず
孤独になる不安、恐怖、不安定という
ネガティブな面が存在します。
「自由に生きる」とは
多数派に群れず、一人で生きる
ことが出来なければなりません。
大半の人が、自由を捨ててまでも
孤独になる不安、恐怖、不安定を
無くしたいから、
自分を押し殺して
多数派に身を潜めて生きていたいのです。
そう無意識に、ひしひしと感じているから
自由を選ぶことが出来ないのです。
どれだけ外の環境が発達し、
豊かになったとしても
最後は孤独を恐れない
自分の強さがあるか否かが
自由に生きている人と
そうでない人との差です。
どんなに預金通帳の額を増やしたり、
人脈、知識、経験、技術、肩書を
身に着けたとしても、
最後の最期は孤独や不安を恐れない
自分の内面の強さに
かかってきているのです。
本当に「自分の内面」の強さを
身に着けている人ならば、
年齢、スキル、貯金の額、肩書など
無くとも、外部の環境がどうであれ、
いつでも「自由に生きる」
ということが出来るのです。
自由に生きるために「内面の強さ」を身に着けるには?
孤独や不安に立ち向かったとしても
心から「自由に生きたい」
と思っているのならば、
自分の内面を強くしていく必要があります。
どうやって内面を強くしていくのか?
その方法が瞑想です。
自分の心の声を聴く習慣をつけて、
その通りに1つでも多く
行動できたかがどうか?
過去、数千年変わっていない
自分の内面を強くしていく手法
になります。
ほとんどの人が外部の情報、価値観に
よって常識であるかのように
常識(固定観念)を植え付けられています。
自分の本心ではないのに、
自分の奥底の心から感じる声が
外部の環境にかき消されてしまっているのです。
この常識(固定観念)を取り払い、
積極的に自分の心の声を聴くことが
自分の内面を強くしていきます。
人は多数の意見、考えに従っていれば
安心、安定を感じやすく、
例え自分の本心、本音だとしなくても、
「自分はこれでいいのだ。」
と思ってしまうのです。
周囲の情報を判断基準をしているうちは
内面の強さを鍛えることはできません。
本当に自分の内から湧き上がってきた情動を
もとに行動できたならば、
自分の人生を自分らしく
自由に生きていくことが出来るのです。
自由に生きるためにマインドセット(信念の部分)を学ぶ意味
もう一つ、
自由に生きられなくしている要因について
お伝えしておきます。
信念の部分に対して、
人は必ず「信念」があります。
「私は何も『信念』が無いよ」
という人にも、
例外なく必ず何か外の情報や影響を受けて
「信念」が形成されています。
もし宗教をやられているならば、
わかりやすいと思います。
キリスト教、仏教、道徳(儒教)で
教えられたことが「信念」の部分になります。
何の宗教もやってない人でも、
親や学校で教えられたこと、
テレビやドラマで見たモノ、
周りの友人やパートナーから聞いたこと
これら過去の記憶が常識となって
「信念」の部分になるのです。
だから、信念の中にあるものを材料に、
人は思考をして想像をするのです。
さらに人は理論や理屈では
動きたくありません。
心の底から
「自分がやりたい!」「面白そう!」
「やらないと死んでしまう!」
などと
何か感情を刺激されなければ、
人は行動をすることが出来ないのです。
例えば、
どんなに本や教材を読んで
経営の知識やお金儲けの方法を
知ったとしても、
行動につながらない人がいたとします。
普段、付き合っている身近な人や、
周りからの情報が
「やめときなよ」
「君には無理だよ」
などとネガティブなことを言われてしまい
行動をやめてしまったとしたら、
『信念』の部分が
「周りの人の意見、外の情報」をもとに、
動いているということなのです。
「自由に生きる」ということは、
どう見ても少数です。
多数派の「自由を捨ててでも安心・安定」を
望んでいるので、
もし多数派の考えに寄り添い「信念」を
持っているとしたら、
「自由に生きる」ということが
外の情報「自由を捨ててでも安心・安定」
という元の考え方に
かき消されて当たり前なのです。
「過去の記憶」は変えられないから「信念を変える」
もし今の自分に、
求めているものが手に入らない
「結果」の部分が満たされていない
というのならば、
信念の部分を変えるしかありません。
信念を作り出している「過去の記憶」は
記憶喪失などでもさせない限り、
変えることができません。
信念の部分を変える必要が
あります。
誰か他人や情報から影響を受けた
常識・価値観・固定観念を上書きしていく
という手法です。
自由に生きたいのならば、
「自由を束縛されそうならば、やらない」
「楽しいと感じることでなければ、
やらない」
「〜しなければならない」といった
常識、価値観、固定観念を捨てて、
「やらない」ということを
設定する方が簡単で、
上手くいくのです。
まとめ
人は本来、
「自由に何をしても良いはず」
なのに、
多くの人が「自由に生きられない理由」は
周りの情報、常識、「〜しなければならない」
といったものが自分を縛っているからです。
そのために瞑想を習慣にし、
自分の心の声を聞くことで、
周りに振り回されないようにすることです。
そして、
周りの情報、常識、「〜しなければならない」
ということを捨てて、
「やらない」ことを決めることの方が
気合も根性も無くとも、
「自由に生きられる」方法になります。
今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。