ニートになる勇気「リストラされても死なない方法」

ニートになる勇気「リストラされても死なない方法」

 

・正社員のサラリーマンをやっているから
 自分は、フリーターや派遣社員よりも価値がある。

 

政治家という役職があるから
 自分の価値は高い。

 

専業主婦をしているから
 自分には存在価値がある。

 

資産を○○○万円持っているから、
 自分は安心して生きていける。

 

○○という技術、スキルがあるから、
 食いっぱぐれることは無い。

などと、多くの人が自分の存在価値
安定させたいがために、
何かしらの肩書を求めます。

 

 

 

「○○だから」

という肩書に自分の価値を維持している人ほど、

いざリストラ、落選、子どもの自立、
破産、AIによって仕事を失う

といった
肩書が失われるという現実を目の当たりにした時、
大きな絶望に落とされるのです。

 

 

 

 

何も持っていない自分は価値が無い。

 

絶望と共に、
まるで生きた心地がしなくなってしまう
ことが多いのです。

 

これを難しい言葉で表すと、
自己喪失」、「自我の崩壊」と言います。

 

 

 

今回は、「ニートになる勇気」と
過激な言葉を使っていますが、
本質は、外の肩書で塗り固められ、
自分を保っていたものを失った時

 

社会的にニートのような存在になった時にこそ
「本当の自分」というものが見つかるという
話をします。

 

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人の価値は、外側に存在しない。

 

結論からお話しすると、
人の価値は外側には存在しません

 

多くの人が、

何か結果や肩書を出すから価値がある。

と思い込んでいますが、違います

 

 

ただ生きているだけで、自分には価値がある。

もちろん、自分の価値は、
他人が認めてくれる訳では無いので、
自分で「自分の価値」を信じなければならないのです。

 

 

例え、何もしなくとも、
どんな行動をしなくとも
どんな結果を出さなくとも
自分には価値があると言うことです。

 

 

まるで生まれたばかりの赤ん坊が
何も出来なくても、周りから喜ばれるように、
ただそこに居るだけで価値があるのです。

 

 

なぜ「自分の価値」を認めにくいのか?

 

いまいち理解しづらいと思いますが、
原因は幼少時代から刷り込まれてきた学校教育や「しつけ」にあります。

 

日本の教育には、

「自分を大切にする」「自分には無条件で価値がある」

という自己肯定感(セルフイメージ)を整えることは
されていません。

 

 

むしろ、

「みんなと合わせなさい」

ということを徹底的に刷り込まされます。

 

すると、

みんなに嫌われてしまったら
自分には価値が無い。

 

周りにいらないと言われる自分は、
消えてなくなった方が良い。

 

みんなに合わせられない自分は、
生きている価値が無い。

などと、大人になっても
本気で思い込み続けてしまうのです。

 

 

日本人は鬱になりやすい。自殺が多い原因

 

「自分がどう思うか?」
では無く、
「周りがどう思うか?」
に重点が置かれていますので、

自分の存在価値を自分で認めるのではなく、
周りの他人によって自分の存在価値が決まる。

などと、子どもの頃から勘違いしているのです。

 

 

今まで真面目に一生懸命、勉強したり、
世間の望まれたレールを歩いてきた人ほど、
鬱になりやすい。自殺してしまう。
という根源原因は教育にあるのです。

 

人を見下してしまう心理も教育から来ている

 

人を見下す心理もまた、

 

誰か他人と比べて
「こいつらよりも、私の方が価値がある」と
自分が心の安心、安定を感じたいがために
無意識に行うものなのです。

 

そして、
心の底から他人の成功や幸福を喜べないのも、

自分は遅れているかもしれない。
自分の方が劣っているのかもしれない

などと焦り、不安を感じてしまうことから来るのです。

 

 

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何もしない時間こそ貴重

 

いざニートになると、
何も持っていない自分。

 

何もしない自分に対して、
強い焦りと不安を感じます。

 

しかし、
その何もしない時間こそ、
自分の時間を生きている
ということになります。

 

 

今までは、

これをすれば褒められる。
結果を出せば、自分には価値があると認められる。

周りの他人にどう思われるか?
でしたので、

 

何かをやるにしても、
不安や恐怖が「やる気」の原動力だったのです。

 

やりたいことに、理由は無い

 

自分が心からやりたいことは、
やっていることそのものが目的であり、
「ただ、なんとなく」がやる理由です。

 

考え込んでしまうと、一見意味が無い
ことのように感じてしまうかもしれません。

 

 

ただ、
誰に強制される訳でも無く、
1〜2年続けていることは、
後々に不思議と、誰かの役に立ち、
頼んでもいないのに評価され、
お金に繋がるということが起きるのです。

 

「お金のためにヤル」とやっていたことよりも
上手くいくことがあるのです。

 

ここまで来るのに、杉山は2年かかりましたが、
腑に落ちた瞬間でした。

 

レールを外れ、ニートになるとどうなるか?

 

このブログを書いている
杉山自身の体験を話しますと

 

新卒で会社に就職したものの、
絶対に独立起業したいと考え、

 

友人の運営する芸能プロダクションを
手伝い、そこから受けるチラシやパンフレットの制作、
動画の作成、運営の手配などを行っていました。

 

学びと修行の段階だと考え、
本業の会社と、芸能関連のダブルワークで
忙しく働いていました。

 

「休みなんて、億単位の金を稼いだ人が取るものだ」

と考え、寝ることなく働いてました。
もちろん、何度も心身ともに病気になります。

 

 

 

あまりにも忙しくなってしまったため、
本業である会社を、収入が安定している訳でも無いのに、
ほぼ勢いで退職してしまいました。

 

その時は、やっと芸能のことに集中できるぞ!

これからだ!という時に、
同じく忙しく働いていた仲間も
統合失調症のような状態になってしまい、

 

その仲間からヤクザの脅しのような電話を毎晩かけられ、
命の危険を感じ着信拒否、逃げるという選択を
取ったのです。

 

 

当時は収入が無いので落胆している暇は無く、
フリーランスとして、その日暮らしの稼ぎをしながら、
こうしてブログを書いていたりします。

 

やっと時間の余裕ができたのですが、
首から肩にかけての慢性的な痛み、耳鳴り、
チック症のように頭から離れない嫌な記憶のフラッシュバックに悩まされ、

 

出会った東洋医学の先生の勧めで、
全く仕事をしない時間を、
あえて作ってみることにしたのです。

 

しかし、いざ何もしないと、

・人よりもネガティブなことばかり考えている

 

・「何もしない自分に価値が無い」と不安になっている

 

・とにかく自虐的である。

ということがわかったのです。

 

そこで、明らかにオカシイことも自覚し、
もともと興味のあった心理学、哲学しかやらない生活をし、
このブログを始めるきっかけに繋がりました。

 

今までの人生の中で、
最も、お金は無いが、
最も、時間のある時を過ごしました。

 

さらに、興味のあった3Dのモデリングや
プログラミングでゲームを作ってみたり、
とにかく無意識に何も考えず何かやっていました。

 

「忙しさ」は、何も生み出さない

 

もちろん、
「自分はニートである」ということに
強い劣等感と不安を感じ夜も眠れない経験もしました。

 

今まで「何かをしている時に、自分には価値がある」と
思ってましたので、それが
「何も生み出さない自分」に変わってしまったのですから。

 

 

しかし、
今までの「やる気」は、
義務感、不安の恐怖に駆られて、
動こうとしていたものなのです。

 

普段、忙しく、時間が無ければ
そのことにすら気づかないこともあります。

 

 

 

忙しいの「忙」という漢字は、
「心」「亡」の組み合わせで、

 

まさに「心が亡くなる」と言った言葉が
これも腑に落ちる体験でした。

 

 

ニートになってでも「考える時間」は必要

 

言われてみれば、
学生時代も、学校が終わっても、
土日の休みも無い長時間拘束のブラック部活で
ヘトヘトになり、死んだように眠り、
次にまた学校へ行く。

 

部活が引退となっても、
次は受験勉強をしなければと、
学校から帰ってカーチャンが時間をかけて作ったご飯を
5分くらいで掻き込み、

 

塾や予備校に行き、
帰ってきたらまた課題をやる。

 

 

大学時代も、いわゆる課題や製図があるので、
それをこなし、
隙間時間にアルバイトを入れるという生活。

 

 

そして、卒業まえに、
自己分析をする暇も無く、
「とりあえず内定を取らなければ!」
という一心で就活をしながら、
片手間に卒業研究、論文を書く。

 

そして就職後も、さらに忙しい毎日を過ごし、
年齢を重ねていく。

 

中学時代以降、
全くと言ってもいいほど、
「何もしない時間」を作ってこなかった。

 

そんな人も多いのではないでしょうか?

 

 

まとめ「ニートになる勇気」

 

 

もちろん、
今回のテーマであるニートになる勇気は、

・見栄もプライドも捨てて実家に住まわせて飯を食わせてくれる。

 

・1〜2年以上、ニートになれる蓄えがある。

など、条件が無ければ厳しいかもしれませんので、
誰にでも勧められるものではありません。

 

 

 

ただ、もともと何か夢を叶えようと
真面目に一生懸命バリバリやっていた人が、

 

権力者や有名人の人脈を作ったり、
地位やお金、富を築こうとしたり、
人よりも秀でたことを世に出していこうとするのは
多くの人が当たり前のようにやりますよね。

 

 

いざ夢を叶えても、自分の求めているモノが
手に入らなかった。

「こんなもののために、頑張っていたのか…」
「人生の時間を無駄にしてしまった。」

 

などと、絶望してしまった。

 

もしくは、
そもそも「どうやっても自分に叶えることが出来ない」こと
だということがわかり、呆然とやる気が無くなり、
「何のために生きているのか」すらわからなくなってしまった。

 

 

などと言う人が、多くいらっしゃるのは、

 

「何もやっていない時間は、無意味」と
感じてしまい、不安になり、
自分と向き合う時間を作ってこなかった
原因だと言えます。

 

だから、自分の時間を生き、
自分と向き合うために
今回の「ニートになる勇気」につながります。

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。

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