不安を解消しようと「安心安定を求めれば」悪化する話

不安を解消するよりも大きくしないこと

 

多くの人が不安を感じたくないがために、
出来るだけの安心安定を望むと思います。

 

結論から言うと、
人が生きていくうえで、一切の不安を感じずに済む。
ということは不可能です。

 

安心安定を求める

 

安心安定の世界は、どこにもありません。

 

もし、人が不安を感じずに済む世界があるというのなら、
究極、何もせず何も感じない。
いわば「脳死」の状態が理想かもしれません。

 

むしろ、存在しないはずの安心安定を探し求めるほど、
不安はどんどん大きくなります、

 

重要なことですので、深堀りして伝えていきます。

 

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不安を無くすと人はどうなるか?

動物園の動物

 

不安というネガティブな感情を無くす
ということは、
不安によって得られたポジティブな要素を失う
というです。

 

 

動物園の動物をイメージして見ると良いかもしれません。

飼育員に常に守られているので、
天敵に襲われることも無ければ餓死の心配もありません。

 

人間で言うところの不安や悩みが無い。
状態に近いかもしれません。

 

 

しかし、よく動物の目を見て見ると、
完全に野生の覇気を失っていますよね。

 

熊だ。ライオンだ!という猛獣でさえ、
もはや、猛獣の目をしていません。

 

ずっと檻に閉じ込められ続け、
同じ景色を見続けてストレスを感じているせいか、
同じところを永遠と行ったり来たりしていることが多いです。

 

※人間でいうチック症の一種である常同行動と思われます。

 

なにが言いたいのかというと
一切の不安が無いということは、
刺激も無い、暇、憂鬱となり幸せを感じることも出来ない
といっても過言ではありません。

 

人が心地良さを感じたり、リラックス出来るのは、
緊張状態から解放された時に感じることができます。

 

 

 

物事には必ず良い面と悪い面、
コインの表と裏のように切っても切れない関係が存在します。

 

コインの表裏

 

これを無くせば、物事は必ず良くなる!

という世界は幻想です。存在しません

 

良い面だけの世界を探そうと躍起になるほど、
物事はバランスを崩し、必ず問題が発生するのです。

 

もし、不安が一切無くなったとしたら、
次に堕落と退化という「悪い要素」が必ず起こります。

 

もちろん、
不安を完全に無くすことは出来ませんが、
限りなく小さくしていくことは出来ます。

 

次に説明していきます。

 

解消方法「不安を大きくしない」

 

 

同じ人間なのに、
不安が大きい人」「不安が小さい人
両方が存在しています。

 

何が違うのでしょうか?どうしたら不安を消し去ることが出来るのか?

 

 

不安が小さい人」ほど
不安を感じたとしても不安に対して栄養を与えて大きくしない努力を怠りません。
ポジティブ
人の心を100とした時、
「楽しさ、ワクワク」が60
「悩み、不安」が40であれば、その人は「楽しさ、ワクワク」に感じます。

 

 

 

ネガティブ
一方で「楽しさ、ワクワク」が49
「悩み、不安」が51であれば、人は「悩み、不安」が勝り、
ネガティブな気持ちで頭をいっぱいにしています。

 

人は一度に両方の感情を感じることが出来ない
習性があるのです。

 

 

一度に、怒る感情を抱きながら喜ぶ感情を抱くことなんて出来ませんよね?
悩み、不安」があっても同時に「楽しさ、ワクワク」が優位であれば
心地良くいられるのです。

 

 

 

 

宗教について抵抗がある人も居るとは思いますが、
サラッと触れておきます。

 

人は、一度手にしたポジティブな面は、
必ず慣れが生じ、いつまでも心地良いと感じることが出来ません

 

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などでは、
日程を組み込んで感謝の祈りを捧げていますよね。

 

わざわざ生活の一部にしないと、
人は既に持っているポジティブな面に目が行くことが出来ない
という、極めて合理的な理由から習慣にしているのかもしれません。

 

日本にも存在します。
もはや宗教とは思えないくらい生活の一部として
溶け込んで気づかない方もいますが、
ご飯を食べる際の感謝の言葉。
「いただきます」も神道から来ているのです。

 

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不安の心配事が現実に起こってしまう理由

 

「死んでしまうかもしれない」

 

「裏切られるかもしれない」

 

「失敗するかもしれない」

などと、誰にもわからぬネガティブな未来を想像して
不安になっても、予感が的中することは「ほとんど無い」のが事実です。

 

 

しかし、不安を大きくしている人ほど
不安な現実を引き寄せてしまいます。

 

実際には、ネガティブなことが起きて無いのに、
まるで自分の予想が的中したかのように捉えてしまうからです。

 

いまいちピンと来ないと思いますので、
さらに深く説明していきます。

 

身の回りの現実は、自分が作っている

 

自分が体験したり、見ているモノは、
人それぞれの視点によって
良いものか?悪いものか?を判断しています。

 

人の視点とは、
自身の価値観、マインド、固定観念によって、
人それぞれ違います。

 

 

 

よく強い被害妄想を訴える人ほど、
どんなポジティブな言葉を投げかけられようとも、
すべてネガティブに解釈しがちです。

 

逆に、ある人は
いつもと当たり前の出来事、変わらぬ日常、ルーチンな食事の中に
小さいな感動を見つけ出し、心地よくしている人も居ます。

 

 

以下の有名な「魔女」にも「少女」にも見える絵に例えます。

 

少女と魔女

 

「相手は絶対に魔女だ!悪いヤツだ!」
と頑固になっている人ほど、
「少女」に見える視点から捉えることは出来ません。

 

人間関係においても、
「相手は、悪いヤツに違いない」と固定化されたのならば、
人は勝手に、重箱の隅をつつくようになり、
相手の悪い所を必死で探し出そうとします

 

 

例え、相手に良い部分があったとしても、
それを捉えることが出来ません。意図的にスルーです。

 

そして、いざ相手の些細な欠点を見つけた瞬間、
鬼の首を取ったように、

「それ見ろ!相手は魔女だ!悪いヤツだ!私の予想は正しかった!」

となるのです。

 

魔女に違いない

 

 

まさに思考や不安が現実のものとなって現れるのです。

 

相手の欠点は、普通ならばサラッと流せる程度のレベルかどうかは、
関係ありません。
人は、自分の考えている証拠を必死で探し出そうとするのです。

 

常に頭の中でネガティブなことを考えている人は、
現実世界においても、必死でネガティブな要因をアチコチ、
探しているのです。

 

 

自分に人生の価値は、自分で見積もっている

 

逆も然りです。

 

DVやパワハラなど、カルト宗教のような洗脳を受けているなど、
あきらかに誰の目から見ても攻撃を加えられているのにも関わらず、
現実から逃避するように必死で良い方向へ解釈する。
問題解決を放棄してしまいがちになるのです。

 

「自分の能力は低い。価値は低い。」
などと自分を低く見積もっている人ほど、

「ブラック企業にしか就職できない。仕方ないことだ」

などと、自分の置かれる環境を決めてしまうのです。

 

現状を変えようと行動することも無く、
嫌な上司や、ネガティブな体験を現実のものにしてしまうのです。

 

 

現実逃避しろと言っているのでは無い

 

もちろん、現実逃避をしろ!と言うつもりはありません

 

「常にポジティブだから私はこの先、なにも怖いものなんてない!」

 

「私はプラス思考だ!だから消費者金融で借金しても何も恐れることは無い!」

 

「人生をかけるこのギャンブル!未来を明るく考えているから一勝負かけるぞー!」

よくありがちなプラス思考をはき違えた状態は、
戦場の兵士が「私には銃弾が当たらない!」などと言って突撃し、
真っ先に死んでいくタイプです。

 

ストレスや逆境を抱え、常に人生を左右するような大事な決断をしなければならない
経営者は、恐怖、恐れ、ネガティブは、きちんと感じています。

 

投資家が株を投資する時に意識していることを例えに挙げると、
頭の中では「現実的」「楽観的」「悲観的」3パターンの
シュミレーションしています。

 

未来の創造3パターン

 

未来のことは誰も想像することは出来ません。
いかに優れた投資家であっても「これを買えば必ず儲かる」
などと「絶対」「必ず」という考え方で大きなお金を動かすことはありません。

 

・ネガティブなことが現実で起きても再起不能にならぬように
対策を出来るだけ練ります。

 

・ポジティブに挑戦出来る環境づくりと
失敗したあとにリカバリー可能なダメージコントロールが大事になのです。

 

 

不安は時代と共に克服していくのが当たりまえ

 

だから、
人類は長年、飢餓の不安、紛争の不安、健康の不安を
減らしていくために政治や経済、宗教、科学に医療といった
分野に多くの人々がエネルギーを注いできました。

 

100年前とは比べて確実に現代の方
便利な世の中です。
どんどん不安や悩みが減っているはずです。

 

100年前の世の中では生きられなかった人が
現代では生きられるようになっているのは、
紛れもない事実です。

 

でなければ、100年前は20億人しか居なかった人類が
現在では75億人にも膨れ上がる訳がありません。

 

 

 

もちろん、
時代が変われば、今まで上手くいった方法も
当てはまらなくなるので、100年前には無かった
新たな不安、悩みが生まれたかもしれません。

 

しかし「少なくとも今日、明日、死んでしまう」
などといった物理的な心配事は、日本に住んでいる以上、
先人たちの努力の結果、ほぼ解決されているのです。

 

今から、石器時代の過酷な生活に戻りたい。
なんていう人は、ほぼ居ないと思います。

 

先人たちの努力にも感謝すべき対象になるのです。

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。

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