自分のために生きても「自責思考で誰かを助けられる」

自分のために生きても「自責思考で誰かを助けられる」

 

自己中心的」と「自分のために生きる」は違います

 

そして、
自分のために生きていても、
周りの困っている人を救うことは可能です。

 

むしろ「人を助けようとして」取った行動ほど、
自分も相手も疲弊してしまうことが多い。
ということを、経験談とともに語っていきます。

 

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自己中心的と自分のために生きるの違い

 

自己中とは?

相手の都合やメリットお構いなしに、
振り回すこと。

 

物事が上手く行かなければ他人のせい。
他責思考

 

自分のために生きるとは?

自分のことは、自分で責任を持つということ。

 

自分のご機嫌は自分で取り、
自分の欲求は自分で叶え、
自分の幸せは、自分次第。

 

物事が上手く行かなければ、
環境、人間関係、決断等、
それを選択したのは自分のせいである。
自責思考

 

「自分のために生きる」ことが、
まるで自己中心的なイメージを思い浮かびますが、

他責思考」か?「自責思考」か?の違い

になってきます。

 

 

協調性は無責任である

 

「ひたすら自分を犠牲にして協調性を持ちなさい」

 

「みんなと合わせなさい」

という、
どこかで受けた教育が染み付いているので、
「自分のために生きる」ということに対して
ネガティブなイメージを持たれますが、

 

例え、みんなと同じように行動していたとしても、
心の中で、

「上手く行かなければ、誰々のせいだ

などと「他責思考」であれば、
それは「自己中心的」な人と変わらないのです。

 

 

自分のために生きられなければ、人を助けられない

 

「自分のため」よりも「誰かのため」の方が、
大義や使命感のようなものが湧いて、
俄然やる気が出る気がしますよね?

 

実際、杉山も一人でコツコツやるよりも、
みんなとワイワイやりながら仕事をする方が
孤独を感じず、クリエイティブになれると思い、
「他人のために生きた」結果、たくさん失敗しました。

 

 

サラッと経験談をまとめると、以下の通り

・ブラック企業を変えようと、
社内で奮闘し、「会社のために生きた」結果、
身体的にも精神的にも病気になって失敗。
※詳細→サラリーマン時代の杉山(中盤あたり)

 

 

・仲間の芸能プロダクションを手伝い、
ほぼ無償で手伝い、「仲間のために生きた」結果、
生活費すら厳しくなり、疲弊して失敗。

 

 

・友達と会社を作ろうと、
必要な資金、人材を集めたり、なりふり構わず
「友達のために行動した」結果、
いざ始めようとしたらバックれられた挙句、
周りの人の信用を失い失敗。

 

 

・学生時代、本気で日本がヤバイと思い、
デモに参加したり、ロビー活動をしたり、
「国のために生きた」結果、
周りからネトウヨの烙印を押され、人間関係を破壊した。

 

 

 

などなど、
友達や組織のために行動しても、
自分の求めていることは手に入りません。

 

むしろ、
大きな失敗をした時に、
必ず浮かび上がるのが「誰々のせい」です。

 

「誰々のせい」で、永遠と思考がグルグル回るので、
そこから前に進んだり、何か学べることもありません

 

 

あえて一人でやって、成果を出してみる。

 

現状、一人で個人事業主をしています。

 

なので、上手くいかなければ、
物理的に「誰かのせい」にすることが出来ません。

 

すべて「自分のせい」ですので、
自分の不甲斐なさに60回くらい絶望したり、
病むことがあります。

 

 

しかし、どんなに病んだとしても、
すべて「自責思考」ですので、価値観や行動を変化させることで、
いくらでも変えることが出来ます。

 

「他責思考」のように、変えることの出来ない他人に対して
いつまでも頭を使うことは無いからです。

 

 

あえて一人でやってみる。

ということは、
例え上手くいかなかったとしても、
膨大な成長と学びを得られることが出来るのです。

 

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自分のことが管理できるまで、組織に頼らない。

 

ここからは、個人的な考えになりますが、
何かスキルや能力を身に着けるために、

組織に所属するのは、オススメしない

ということです。

 

具体的には、部活やスクール、塾などがそうですよね。

 

自分のことを自分で管理できる自責思考になるまで
他人が関わると、上手くいかないからです。

 

 

特に、セミナーや情報商材など、

「上手くいかなければ、教える人が悪い!」

 

「騙された!詐欺だ!」

という「他責思考」特有の被害者意識に陥る人が、
非常に多いからです。

 

 

 

 

さらに、これから話す部分は、あまり言いたく無いので、
もしかすると、あとで消すかもしれません。

 

高校時代の杉山は、
音楽のスキルを身に付けたく、
当時、県内で強豪であった吹奏楽部に入っていました。

 

しかし、そこでは期待していた音楽の知識やスキルが
身に付くのでは無く、

 

どちらかというと、
団体行動や協調性を身につけることに特化していて、
明らかに宗教化していたのです。

 

勘違いしてしまった先生にありがちの行動ですよね。

 

 

同調圧力と洗脳のもと、
当時は「辞める」という選択を思いつくことが出来なかったのです。

 

そして、10年以上経った今でも、
高校時代の記憶がフラッシュバックしてしまい、
「うわぁあああああああ!!!」などと発狂したり、
まるでその時のことが今、起きたかのような錯覚に陥り、
怒りで血がのぼり、「やろうぶっ殺してやるぅ!」などと、
目の前の仕事すら手につかない。

 

明らかにヤバイ奴ですよね。

 

 

 

「他責思考」特有の「裏切られた感」「被害者意識」が
強く出ている証拠です。

 

よくニュースに出てくる「大きな事件」を起こす人の心理が
これに近いのだと思います。

 

 

事件を起こす犯人の心の状態は、いつも

「社会や組織のせい」

 

「自分がこうなったのも、誰々のせい」

という他責思考で埋め尽くされているのです。

 

過去の記憶で怒りが沸いた時は「他責思考」をお知らせしてくれている。

 

またフラッシュバックし、
怒りが湧いた時は、

「また他人のせいに、しているな」

という未熟な自分を「お知らせ」してくれているのだと、
ポジティブに捉えています。

 

 

 

わざわざ、ネガティヴなことに触れましたが、
他責思考」から「自責思考」に切り替えるきっかけに
なると思いました。

 

「家族ために、頑張る」

 

「仲間を救うために、稼ぐ!」

 

「社会を良くするために、戦う!」

というモチベーションが、

「家族のせいで、我慢しなければならない」

 

「仲間が足を引っ張ってくる」

 

「周りの皆が無関心だから、世の中は変わらない!」

などと、怒りが沸いたら
「他責思考」になっている証拠ですので、
注意が必要です。

 

 

 

自分のために生きても人を救える理由

 

「自責思考」のもと、自分のために生きれば、
自然とスキルや能力が身に付きます。

 

スキルや能力に比例して、余裕と器も広がるので、
それだけ多くの人を救える潜在的な力も付きます。

 

 

単純な例えをするならば、

 

 

自分が10を持っていたとして、
10の労力を使わなければ
1人しか救えなかったとします。

 

 

 

 

 

能力と器を広げることが出来れば、

 


1の能力で、1人を救えるので、
いざ本気を出せば、
10人を救えるということになります。

 

そして、それだけ能力があるのなら、
持っているものも、
20に増えていたりするので、まだ自分に余裕がある
という状態になるのです。

 

全力のパワーを出して1人救える人と、
余裕がありながら、10人救える人の違いは、
ここにあるのです。

 

人を救おうとすれば、空回りしてしまう理由

 

逆に、可哀想な人に対して、
手を差し伸べようと、時間とエネルギーを注いだとします。

 

そこからは、学べることが少なく、
無意識のうちに、「相手をコントロールしよう」という欲求が
働いてしまいます。

 

どんな人も「支配、管理」されるのは嫌なので、
助けられた恩を感謝するどころか、
避けたり、望んでいることとは真逆のことに走ります。

 

「助けてあげたのに」

 

「恩知らず」

 

「裏切り者」

という、まさに自己中心的かつ「他責思考」になり、
泥沼の状態に陥るのです。

 

 

結果、「自分のために生きる」をしていた方が、
助けられる人のキャパシティを上げられる。

という根拠になります。

 

今回もここまでお読みくださり、
ありがとうございました。

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