信念がない人、捨てるという選択肢
ここでいう信念とは、
です。
信念がない人=薄っぺらい人
そう感じたことはありませんか?
いきなり変な言い方になってしまいますが、
その念が強ければ強い人ほど、自分の自己コントロール能力が弱く、
情緒不安定になりかけている証拠です。
信念のある人、筋を通す人、というのは良い印象に聞こえますが、
はき違えると人間関係のトラブルや生きづらさをもたらします。
なぜなら、信念とは固定観念であり、他人に押し付けてしまった日には、
災いとなって返ってくるからです。
信念の使い方をはき違えないための思考法をお伝えしていきます。
Sponsored Link
信念を貫き通すと、なぜ生きづらくなるのか?
信念を貫こうとした時、必ずやってくる要因とは以下の通り
- 孤独である。
- 結果を出しにくくなる。
- 感覚の力が鈍くなる。
順に説明していきます。
信念を持つ人は、孤独である。
孤独がゆえに、他人のことが気になり始める心理になり、
巻き込もうとする欲求が働きます。
当然、周りは拒否をするので、
自分の正しさを証明しようと
他人を否定しはじめ、やがて紛争へと発展します。
サザエさんでいうところの波平さんのような
昭和の頑固オヤジ的な人は、
現代人には煙たがられるかもしれません。
むしろ、現代では、筋を貫き通さず、
空を漂う雲のようにフワフワして生きる。
ということが賢い生き方であり、誰にも迷惑もかけず、
自分に最も良い成果をもたらしてしまう生き方にも思えます。
2ちゃんねる創始者の「ひろゆき」氏、曰く
努力したく無い。
人生とは、死ぬまでの暇つぶしであり、ダラダラ生きていたい。
今はケータイゲームの宝箱を開けるのが楽しみ。
そう聞くと、強い信念を持ち、努力家な人ほど、
何か憤りの感情が芽生えるのでは無いでしょうか?
むしろ、なんの努力もしていなさそうな、ひろゆき氏が
数万人にも及ぶ影響力を持ち、情報や知識をもたらし、
数千人の命を救っているのでは?
などと思えます。
むしろ、
などと暑苦しい人ほど、
パワハラ、モラハラ、頭のオカシイ人に捉えられてしまいがちです。
今もなお、私は嘘をつかない!男なら吐いたツバを飲まない!信念を貫き通す!
などと本気で考えている人の方が何事も徒労に終わり、
生きづらい時代に突入したように思えます。
その根拠は、働けば働いただけ稼げるような時代でも無く、
頑張れば頑張るほど、豊かになる仕組みでは無いからです。
結果を出しにくい体質になる。
信念とは、物事に対し、色眼鏡をかける行為である。
これが信念!だと言って、
自分が真っ青な眼鏡をかけていたら、
どんなに真っ赤なリンゴが目の間にあっても、
外の世界は青く見えます。
特に、誰よりも努力し、頑張っているはずなのに、
いっこうに成果が出ないと嘆いている人ほど、
誰か他人のことが気になりだします。
「あいつは、わかっていない」
「キョロ充や事大主義者は嫌いだ!」
「私は努力している!それにひきかえ、奴らはうんたらかんたら・・・」
などと、変えることも、わからせることも不可能な他人に対して、
自分の時間と意識、エネルギーを搾取されることになります。
悪化すると「なぜわかってくれないんだ!ひどい!」などと
被害妄想に陥り、病気になる場合もあります。
身に覚えがあるのでは無いでしょうか?
信念は感覚の力を鈍くする。
数百、数千万人の人命を奪った
ポル・ポト、毛沢東、スターリン、某カルト教団の教祖様でさえも、
なんらかの信念を持っていました。
後世の時代から、どんなに批判される行いをしたとしても、
本人にとっては、間違ったことをしていない。と、
頑なに信じてやっていたことです。
結果を求めるあまり、
過程(プロセス)をないがしろにしてしまうのです。
もし人が人を殺すことに、なんらかの感情が芽生えていたのなら、
到底無理な話です。
信念とは、良くも悪くも
自分の感覚を一切無視して、結果を追い求める。
という要因であることを忘れてはいけません。
もちろん、
などと言いたい訳ではありません。
時代の流れを読み、
ここぞという箇所に一点のエネルギーを集中させ、
最大限の成果を出すための思考法です。
例えるなら、村に押し入り、マシンガンで武装した100人の兵士相手に、
竹槍で正面切って突っ込めば、負けるので、
「どう戦略を練ったら勝てるのか?もしくは、戦わずに勝つには、どう工夫をしたら良いのか?」
「ゲリラ戦を仕掛けるべきか?戦闘機を持ち出し、ナパーム弾で一網打尽にすべきか?」
「兵士を統率する司令官に対して交渉し解決するか?」
考えるようなものです。
決して守るべき村や家族を捨てて敵に寝返り、
自分だけ助かろうという事大主義な生き方を勧めるものではありませんし、
「村や家族を守るべきだ!こうすべきだ!」などと
モラルハラスメントを押し付ける訳でもありません。
Sponsored Link
信念を持つのを辞めるメリット
自分の信念をコントロールするには、
あえて信念を捨てることのメリットを知れば、
おのずと肩の力が抜けてきます。
頭に血が昇っていた感情さえもスーッと穏やかになると思います。
信念を捨てるメリットとは以下の通り。
- 支配、搾取されにくくなる。
- 大多数に流されて、自分を見失わない。
- 心身ともに良好になる
- 気づきが増える。
順に説明していきます。
支配、搾取されにくくなる。
信念を逆手に取り、利用する人もいます。
ブラック企業でありがちな、会社を辞めようとする社員に対して、
「貴様が居なくなると、仕事がまわらくなり、損害だ!
今まで世話になったご恩や信念というものは無いのか!?」
などと、良心(信念)につけこんで搾取するのが典型的ですよね。
自分でも心の片隅に「〇〇でなければいけない」
という先入観があると、あとでよく考えたら、
オカシイと思うことさえも気づくことが出来ずに
支配され続けてしまうのです。
ゆるーくラクーにフラットな状態で居た方が、
「わはは。何言ってだ。このオッサン」程度に聞き流せるので、
不安、恐怖から相手の言いなりになることはありません。
涼しい顔をしていると、搾取しようとする相手から声を荒げられたり、
脅しをかけられがちですが、現代はテクノロジーや制度が
発達しているので屈する必要はありません。
録音するクセや然るべき制度を知っておけば、
いちいち声の大きさや、脅し文句に騙されることは無いでしょう。
大多数に流されて、自分を見失わない。
時に、自分の信念を疑うことは、
物事を俯瞰して見るクセがつくためです。
過度に思考が集中しすぎて、視野が狭くなっていくように、
思いが熱くなっているうちは、自分の世界に入りがちです(自閉症)。
人間であるはずの先生や教祖様に熱狂しすぎて、
時に間違って言った言葉や、履き違えた意味のオカシさに気づくことが出来ずに、
重大な事件を起こしたのが良い例ですよね。
どんなに夢中で熱くなったとしても、
どこかのタイミングで必ず、もう一人の自分が距離を置いて見ていれば、
「いや。待てよ。。。」などと考えることが出来ます。
これを心理学ではメタ認知療法と言い、
カウンセリングとは誰か自分のこと行動、思考、プロセスを話すことで、
限りなくもう一人の自分が自分を観察する状態を作りだす訓練でもあるのです。
心身ともに良好になる
信念とは、固定観念にもなりえます。
固定観念が固まりすぎると、価値観の合わない人に、
いちいち感情が湧いたり、トラブルを引き起こしがちです。
いちいち嫌な出来事を抱えてしまうので、
限りあるエネルギーを浪費しがちなのです。
自分の信念・正義・正しさの度が過ぎると、
脳内では思考の分離ゲームが始まり、
物事の情報を統合しづらくなる。という症状に襲われます。
今まで、サラっと流せた(処理できた)情報や音、何気ない他人の行動などが、
まるで重大なことのように感じ、居ても立っても居られなくなるのです。
もちろん、人の生命、財産がかかるレベルならば、
自分の信念を押し通し、戦う。という場面も必要です。
例え、自分が傷ついても、トラブルになったとしてでも
変えられないくらいの価値がある。という場面は別の話です。
気づきが増える。
人は自分の信じたことの証拠を探す。
自分の信じたこと以外は見ないようにしている。
という習性があります。
大事なことなので、2度言いますが、
人は自分の信じたことの証拠を探す。
自分の信じたこと以外は見ないようにしている。
ありとあらゆる情報や言葉に囲まれていても、
脳の処理がキャパオーバーにならないよう、
フィルターをかけてシャットアウトしています。
信念(固定観念)が強く、頑固に体を固くしている人ほど、
情報を受け取るためのフィルターが熱く、
情報を捻じ曲げて解釈するのです。
これの現象を脳科学ではRAS(脳幹網様体賦活系)と言っています。
瞑想やコーチングなどを習慣にしている人は
「RASを開かせる」という言葉を聞いたことがあると思います。
物事の情報や出来事に対し、何のフィルターもかけず、
ありのままに見るためにRASを開かせるのです。
有益な情報までもフィルターにかけてしまい、受け取れなかったことを
吸収可能な状態にする。ためにあるのです。
信念によって得た杉山の体験談
これを書いている杉山自身が過去に、
あえて信念を手放したことで、
以下のようなメリットを手に入れました。
「嫌いな人を作ってはいけない。差別は許せない!」という固定観念
誰からにも嫌われない人には、好きになってくれる人が居ないように、
嫌いな人が居るから、好きな人が出来る。
差別をするから、世界で一番好きな人のために時間を使うことが出来る。
ということを知り、明らかに暴力をふるっていたり、
限度を過ぎるようなことをしていない限り、
大きな感情が沸き起こることが無くなりました。
「お金を受け取ったら、最後まで仕事を遂行しなくてはいけない。」という固定観念
お金は、完全完璧な道具では無い。
意外と、お金で物事の価値を正確に計ることが出来ない。
ということを知り、
お金を支払っているからと言って、どんな理不尽なことをしてもいいんだ。
という態度のクライアントから搾取されないようになった。
「マーケティングやブランディングとは、お客さんを洗脳して、ぼったくりをするものだ。」という固定観念
と、思っていました。
しかし、
ライティングとは:自分が届けたい人にメッセージを伝える方法
マーケティングとは:自分が助けたい人を明確にする方法
ブランディングとは:背伸びしないでありのままを伝える事
ということを知り、
自分を安売りして疲弊しない思考に切り替えることができました。
信念の使い方、コントロールの仕方
何度も言うように、
一切の信念を捨てろ。自分を持つな。事大主義者のキョロ充になれ!
ということを言いたい訳では決してありません。
しかし、普段、穏やかに生きているような人は、
怠け者に見えるかもしれません。
そんな人ほど、意図的では無いにしろ、
「〜であるべき」
「○○しなければならない」
などという固定観念がありません。
生きづらさを感じたり、苦しみを感じている人ほど、
それだけ真面目で努力家だと言うことです。
物事を複雑に考えても、解決した試しがないので、
いっそのこと、
自分のコンディションを整えるために、
目の前のことから離れる勇気も必要です。
固定観念が自分の世界を作り、受け取る情報や、
出来事を引き寄せると言っても過言ではありません。
世の中のコーチングやマインドセットは、
新しい情報を提供するよりも、
既にある思考を捨て去ることに9割の労力を割いています。
例えるなら、コンクリートのようにカチカチで固まった土に、
いくら上質な種や肥料をまいても、作物が実ることはありません。
新しい種をまくよりも、心の畑を柔らかく耕していくことが、
豊作に恵まれるのです。
それでも他人のことが気になって仕方ない時
どんなに頭では理解はしていても、
まるで呪いをかけられたかのように、
過去の記憶や、他人のことが気になり出して、
目の前のことが手につかない。
そんな時、杉山が読むようにしているのは、
以下の格言です。
他人からの受け入りではありますが、最後に御紹介いたします。
『あなたの時間は限られている。
だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。
ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。
それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。
他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。
そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。
それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。
それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。』
今回もここまでお読みくださり有難うございました。