アンチ、クレーマー、低評価ボタンを押す人の正体「他者を否定しないと生きられない人の心理」

 

どんなに良い商品、サービスを提供しても
必ずアンチ、クレーマーはいます。

 

どんな聖人だろうと、
その人に対して
必ず嫌う人、批判をする人はいます。

 

 

もっとみじかに例えるならば、
SNSやユーチューブで
どんなに素晴らしい動画をUPしても
必ず低評価ボタンを押す人はいますよね。

 

例えどんなことをしても
必ず否定する人のことを
この記事では「ディスり屋さん」と
便宜上、呼ぶことにします。

 

 

 

このディスリ屋さんは、
他人の悲しい表情、困った姿を見ることを
大喜びをし、生きがいにする人です。

 

他人のネガティブな姿が
自分の栄養の源になっている
吸血鬼のような人種です。

 

ネット上のコミュニティだけで無く、
学校、職場、同好会、家族の中に
必ず存在します。

 

 

 

もちろんディスリ屋さんとは、
関わらない、近寄らない、反応しないが
一番の解決策です。

 

お金を払ってでも離れることが
望ましいとも言えます。

 

よほど悪質な場合は
弁護士に相談するのが一番ですよね。

 

※間違ってでも「ディスリ屋さん」を
 さとそうとしたり、変えようと
 試みをしないでください。
 理由は後ほどお伝えします。

 

 

 

それでも、なかには事情によって
いますぐに「ディスリ屋さん」から
転職、引っ越し、転校等、
今すぐ離れるが出来ない人が多いと思います。

 

 

 

そんな状況の人のために、
この「ディスリ屋さん」の頭の中は
どうなっているのか?

 

今回はこの「ディスリ屋さん」の心理を
知っておくだけで、
自分の心を守る手助けになると思い、
お伝えしていきます。

 

 

 

「この社会で価値のある存在でありたい」

 

「誰よりも優位なポジションに立ちたい」

 

「認められたい。評価されたい。理解されたい」

 

「自分が一番、愛されたい。」

 

これらの欲求を自己承認欲求といいます。

 

人は誰でも自己承認欲求を持っています。
性欲以上の爆発的なエネルギーを持って
います。

 

 

人は自分の地位や評価、メンツなど
自己承認欲求を下げられた時、
人は怒り、悲しみ、悔しさを感じます。

 

 

 

 

 

逆に、自分以外の他人の無様な姿、
困っている、弱っている姿を見た時、
人は誰でも

「相手よりも自分の方が上だ!」

 

「相手よりも自分の方が価値がある」

 

「相手は弱く、自分が強い」

 

などと、無意識に思います。

 

 

自分の自己承認欲求の一部が
満たされるのです。

 

 

 

 

 

「ディスリ屋さん」もまた、
「いつも自分が有利でありたい」
という心理状態なのです。

 

 

ディスリ屋さんほど、
自分より凄い人を見たら
ひどく落ち込みます。

 

 

 

無意識に

「自分は、相手よりも、すごくない」

 

「自分は、相手よりも、価値が低い」

 

「自分は、相手よりも、劣っている」

 

などと感じるのです。

 

とても居心地が悪いのです。

 

相手のことを「すごい」と思えば思うほど
自分の「価値は低い」と思ってしまうのです。

 

 

 

だからどんなに
ユーチューブにUPした動画が
素晴らしく、感動をしたとしても、

 

居心地が悪いので
低評価ボタンを押してしまうのです。

 

 

 

商品、サービスがどんなに良くとも、
重箱のスミをつつくように粗を探して
批判したくなるのです。

 

 

 

 

 

例え国を挙げて「ディスリ屋さん」を
抹殺、粛清したとしても、
「ディスリ屋さん」は無くなりません。

 

新たに「ディスリ屋さん」が現れるのです。

 

ホメオスタシス(恒常性の維持)などと、
「物事のバランスを保とうとする法則」
については興味がある人は調べてみてください。

 

 

 

そもそも「ディスリ屋さん」を
経験しなかった人はいません。

 

人は、他人の力で変えることは
例えどんな手段を使っても出来ません。

 

 

それにも関わらず、
良かれと思ってやったことが
相手の心を傷つけたり、下げている
可能性があるのです。

 

 

 

 

冒頭で説明したように、
自分が「ディスリ屋さん」だと
思う人に対して、

「そうゆうことはヤメロ!」

 

「君は、イケナイことをしている!」

 

「君が相手の立場だったら、どう思うの?」

 

などと言っても
やめさせようとしたり、さとそうとすれば
必ず反発します。

 

 

 

「ディスリ屋さん」からしたら、
自分が悪いことをしているつもりは
全くありません。

 

 

むしろ、

自分がデブだと思っていないのに、
「君は、デブだから、
ダイエットして痩せたほうがいいよ!」

 

 

自分が精神病だと思っていないのに、
「君は、頭がオカシイから、
精神科の診察を受けたほうがいいよ!」

 

 

自分は誰かを虐めているつもりは無いのに
「君は、サイコパスだから、
死んだ方がいいよ」

 

などと言うのと同じことです。

 

 

「ディスリ屋さん」は
自分のことを「ディスリ屋さん」だと
思っていません。

 

むしろ、
「ディスリ屋さん」からしたら、
注意したり、説教してくる人に対して
自分の心を傷つけてくる人としか
思わないのです。

 

 

 

だから、
どうせ人を変えることが出来ないのなら、
自分から離れていくしかありません。

 

物理的に見えない状態にしない限り、
相手の嫌な部分が目に入ってしまうのです。

 

 

 

 

自分に自覚が無くとも
誰か他人を傷つけたり、否定している
ということが日常的に起きています。

 

 

その理由はすべて、
自分の自己承認欲求を、
誰か他人と比べていることに他なりません。

 

「ディスリ屋さん」になりやすい人ほど
誰か他人に自分の評価を求めているのです。

 

「誰か他人と比べて、自分は上か下か?」

 

相手と自分では
どちらが優れていて、劣っているか?」

この状態を脱しない限り、
良好な人間関係を築けるわけがありませんね。

 

 

 

だから、

 

自分の価値は、誰か他人の
評価で左右されることは無い。

 

自分の価値は
自分で認める責任がある。

 

これを精神的自立と言います。

 

 

 

 

 

いまだに学校教育やテストの成績で
人の価値が決まる。

 

 

道徳や儒教的な思想を妄信し、
年長者に価値があり、年下は劣っている。

 

 

商品、サービスを売るメディアの
本質を捉えることが出来ずに、

 

・学歴は?
・年収は?
・彼女(氏)の有無は?
・車、高級腕時計のグレードはどうだ?
などなど。。。

 

 

残念ながら
何か「外の世界」「数値」や「物差し」で
自分の価値を決めているだけでなく、
他人に押し付けている人も非常に多く
いらっしゃいます。

 

自分を否定するだけでなく、
自分の勝手な価値観の押しつけ
「ディスリ屋さん」になってしまうのです。

 

 

 

他の記事でも説明していますが、
この、誰かに刷りこまれた価値観を
卒業することから精神的自立が始まります。

 

 

 

 

 

「誰かに評価されようと、評価されなくとも、
自分で自分を認めることが出来る。」

 

「どんな成果を出そうとも、出さなくても、
自分には価値がある。」

 

そう、心の中でも良いので、
1日1回、言ってみてください。

 

 

 

 

 

繰り返し、お伝えするように

 

誰か他人によって人を変えることは
例えどんな手段を使っても出来ません

 

 

 

人を変えることが出来ないのに、
批判、説教してくる人は、
自分を自分でコントロールできない
未熟な状態なのです。

 

そんな未熟な人から
学ぶことは基本的にありません。

 

相手が何かを言ってきても
真に受ける必要も無いのです。

 

 

 

 

だから、
誰か他人が批判、中傷してきたから
自分の心が傷ついた、ヤル気を無くした

 

という状態は、
まだ精神的自立ができていません。

 

 

 

もちろん、

 

人の脳は、周りの情報を食べて
行動しているので、

 

いつも批判、中傷してくる人の近くにいると
自分の脳は、「その通りだと」
錯覚してしまうのです。

 

錯覚した脳は、
その通りに行動してしまうので、
思考は現実化するのです。

 

だから、できることは
最善を尽くして早く、
物理的に相手から離れてしまうのです。

 

 

 

 

余談ですが、

 

人は変わる時は、
誰か他人の力よって変わるのではなく、
自分自身の対話のみです。

 

自分が決断した時、
受け取る情報、言葉を
無意識に選ぶようになるのです。

 

同じように、
受け取らない勇気も必要に
なってくるのです。

 

 

 

不安、心配だからと言って、
受け取ってはいけない情報、言葉を
脳の中に入れてしまえば、
必ず元の状態に戻ってしまうのです。

 

 

 

決断した時に、
やることを決める以上に、
やらないことを決める方が大切に
なってくるのです。

 

 

 

 

必ず否定、批判する人の正体とは、

 

誰かを下げなければ、
自分自身を保てなくなるので、
生きられない人です。

 

 

 

そして、
「自分の価値」を誰か他人に求める限り、

 

知らずのうちに
自分が誰か他人をバカにしたり、
批判する可能性があります。

 

 

そのために。
自分の価値は「外の物差し」では無く
責任もって自分で認められるようになる。

 

 

精神的自立を目指すことで
自分が望む人間関係、環境、願望実現に
近づくことになるのです。

 

 

 

 

今回もここまでお読み下さり
ありがとうございました。

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