内向的な性格は直さなくて良い件「10代学生向けに解説」
以下の考え方は、間違いです。
「内向的な性格は直さなくてはならない」
「常に明るくポジティブで元気に振舞わなければならない。」
「イケイケしている人が優れていて、根暗みたいに物静かな人は間違っている」
そんな間違った考えで、無理に接しても長続きすることはありません。
「常に明るく振る舞わなきゃいけない」などと
追い立てられるようにしていては心休まる日がありません。
実は、自分だけでなく相手に対しても同じです。
いつもパワフルな人の前では疲れてしまう人も一定数、存在するからです。
- コミュニケーションは無理すればするほど、自分に意識が向いて、相手を気遣えなくなる。
- 外向的な人ほど深い話をしたり、コアな関係を築くのが不得意など、デメリットも存在する。
詳しく解説していきます。
コミュニケーション能力に明るいかどうかは関係無い。
陽気な性格の人を意味する俗語でいうところの
10代、20代なら誰しも聞き覚えがあると思います。
スクールカーストにおいて上位に立ち、
いわゆるクラスの「イケてる」人や
グループの総称として用いられることも多いという定義です。
実際の性格が陽気かどうかよりも
一般的に明るく、外向的な性格だったり
常に集団の中にいるような人物をイメージをします。
対照的なのが
「陰キャラ」「オタク」「引きこもり系」
学校社会ではクラスの隅っこにいて
集団で群れている方から見ると
一人でいることが多く内向的な人物だから陰気臭い…
という見た目だから、そう呼ばれているそうです。
コミュニケーションは
「陰キャだから…」「リア充だから…」
優れているかどうかは、とは全く関係ないのです。
コミュ障を克服しようとして
「陽キャラ」になろうとすることは間違いなのです。
コミュニケーションが上達すれば自然に「陽キャラ」に見えることはあっても、
陽キャラになればコミュニケーションが上達することはないからです。
例え話をします。
21歳A君という学生がいて
学校生活で輝いて見える陽キャラが
一見、コミュニケーションに優れているように見えます
21歳のA君が40〜50歳の大人の集団に
同席することになったら学校生活で振舞っていることと
同じことが出来るでしょうか?
真にコミュニケーションに優れている方は
相手にする人が変わっても、そつなく対応することが出来ます。
陽キャラであることがコミュニケーションに長けているかなんて
断定できないことが言えます。
逆に、陰キャラ見えるからと言って
おじいさん、おばあさんや子どもの話を聞く
ことが出来ないなんて断定することはできません。
「陽キャラ」「リア充」「ウェイ系」
「陰キャラ」「オタク」「引きこもり系」
これらはすべて他人が勝手に印象づけた「解釈」でしかありません。
人と環境によって捉え方が全然違ってくるのです。
国や時代が変わっても「リア充・陽キャが正しいなんて」
同じ状況で居られるのでしょうか?
そう疑ってみてください。
仮にですが、今から150年前の武士の時代に、
武士が「ウェーイ!」なんて言っていたら、
その場で斬り殺されてますよね?
陽キャラの「コミュ障」は存在する
陽キャラでもコミュニケーション下手というケースがあります。
アッパー系コミュ障と言い方をしたりします。
俗に言うマシンガントークの様に
自分の話しかせず相手が話をしているのに関わらず遮ってしまう人です。
自分の話を興味持って聞いてくれない人に対して
また会いたいと思うでしょうか?
例えるならば・・・
ママさんの集まりによくありがちな
誰かの陰口、悪口で永遠と長々話している人に、
もっと深い関係になりたいなんて気分になるでしょうか?
自分の価値観を押し付けてきたり、
マウントを取って優位に立とうとする人に
誰がついていきたいと思うでしょうか?
他人のことに気を使えるだけの余裕と器もない人が、
無理をして陽キャやリア充を目指して失敗するパターンに多いのです。
※これを書いてる過去の私がそうでした・・・orz
人見知りを改善しようと無理すれば悲惨です。
この考え方は間違いであることを、今から理解してください。
もし自分が、スクールカーストに苦しみ、
陽キャラにバカにされたり、後ろ指をさされるように
感じましたら
「陽キャラのように見える人」は
運よく陽キャラでいられる環境に甘えている。
自分と違う人(陰キャ)を馬鹿にすることで
自尊心を保っているだけの存在だと言うことです。
騙されてはいけません。
内向的な人にリーダーが多い理由
人とのコミュニケーションとは、
自分の承認欲求を満たすことが全てではありません。
自分だけが気持ちよければ良いという訳でも、
もちろんありません。
相手の共感から始まり、相手の理解をしようとすることが
人付き合いが上手い人が、無意識に取っていることです。
外向的な人と内向的な人の特徴
この世界には必ず、相対的に
「外向的な人」と「内向的な人」がいます。
外向的な人とは、
たくさんの人と会うことで学んでいる人で、
傍から見ると常に人の輪の中にいるように見えます。
内向的な人とは
自分の頭の中で試作し学んでいる人で、
傍から見ると常に一人で居るように見えます。
勘違いしてほしくないのが
「外向的な人」が良く「内向的な人」は悪い
というわけではありません。
このような議論は、
男と女では、どちらが優れているか
というくらい意味が無く憐れなことです。
どちらも
「月と太陽」「海と大地」「上と下」
のようにお互いに必要な要素なのです。
「外向的な人」も「内向的な人」も
どちらも優れた考えや問題解決の手段を
持っているというとです。
関わりの深い人間関係は7人が限界
どんなに大勢の人に囲まれているかは
一切関係ありません。
はたから見ればスターのような扱いを受け、
人気者のように見える人もその周りに集まってくる人々の目的は
お金、地位、身に着けているものです。
周りの人は本当に、
その人の内面を見れている訳ではありません。
どんなにお金持ちかつ、人脈や能力に長けていて
人が羨むように見える人もだれ一人からも
理解されることがないので心の空虚さを感じている方もいます。
内向的な人のメリット
人脈が少なく内向的な人だったとしても
たった一人の信頼できる人が居れば、
幸せでいられます。
自分のことを理解してくれる人が
1人か2人くらい居れば、孤独を感じません。
むしろ内向的な人の方が、
この関係を作るのが上手かったりします。
そして、人が欲していることは
「理解されたい」「認められたい」欲求です。
なので目の前の「相手を理解する」「話を聞く」という能力が
最も重要になってきます。
「いかなる技術や富、知識の豊富さ」にも勝るスキルです。
「相手を理解する」ためには
どんな超人でも自分一人という限られた時間、リソースで
対応しなければなりません。
24時間という制限された時間
「1日300キロカロリーまで」と言われる脳の消費エネルギーで
生きていくうえで毎日、自分の生活をこなさなくてはいけません。
だから、人脈が100人居たら100人のために自分の時間を使って理解する。
なんてことは物理的に無理な話ですよね。
だから、どんな超人でも深い人間関係を築けるのは
7人までが限界だと言われる由縁です。
どんな人脈が広い人でも
それ以外は「顔見知り」程度ということになります。
今回もここまでお読みくださり
ありがとうございます。