論破してはいけない〈間違いを注意することは「百害あって一利なし」〉
コミュニケーションや
人との人間関係に悩んでいる人ほど
議論好き、評論家、
人の間違いをよく注意する人、
完全完璧を目指している人
だと言うことです。
おそらく、
「なぜ議論してはいけないんだ!?」
「なぜ人の間違いを正してはいけないんだ!」
「相手の言いなりになってしまう!」
などと、
反感が湧くかもしれません。
今回は、
「なぜ論破してはいけない」
ということをお伝えしていきます。
人の間違いを注意したくなる感覚
それは学校教育の悪い部分を
大人になっても引きづっていることが
原因なのです。
学校教育では、
「コレが唯一絶対に正しい!」
ということを洗脳させられています。
もちろん、
学校教育は戦後60年代から80年代までは
上手く機能していました。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機、自動車など、
モノが不足していた時代には
言われた通りにモノを作れば作るだけ
売れた時代だからです。
「コレをすれば物事が上手くいく」
いわゆる答えと正解があった時代なのです。
反面、21世紀の現代は
答えが無い時代です。
モノを作っても
すでにモノでありふれ、
余っているので売れません。
学校教育は、逆に悪い弊害の方を
現代に出てきてしまっているのです。
「絶対にコレが正しくて、
それ以外は間違っている」
「1+1=2が正解だ!
1でも3でも無い!
鎌倉幕府成立が1192年だ!
1191年でも1193年でも無い!
『実は1+1=2の証明は
数学の最先端ですら難しい』
とか、
『実は鎌倉幕府成立が1185年だった』
とか、意味のわからないことを言うやつは
間違っている!きっと頭のオカシイ奴だ!」
この考えが21世紀の商売でも人間関係にも
上手くいかないのです。
この学校教育の価値観を卒業できぬまま、
大人になると、どこかに唯一絶対に正しい
答えがあるのでは?
などと探し続けてしまうのです。
さらに
自分がコレが絶対に正しいと
信じているものと違う考えを
持つ相手を目の前にした時、
相手は間違っていると決めつけ、
自分の価値観で塗りつぶそうとしたり、
批判、中傷、痛めつけを行うのです。
「自分の方が相手より知っている!」
という浅はかな評論家、議論好きが
行動もせずに口だけを出す人が多いのは
学校教育の悪い部分なのです。
相手が間違っているのだから、
自分の正しさを証明するために、
「論破しなければならない」
という強い脅迫感が生まれて
当然なのです。
では何が正しいのか?
正しさとは?
正しさとは、存在しません。
正しさが存在しないことが
答えなのです。
100人いたら、
100通りの価値観、正しさがあるのです。
また、
時代、国が変われば正しさ、価値観は
180°変わってしまいます。
先生が居たとしても、
先生とは、あくまでも
その分野のガイド役にしかすぎず、
正しさを持っている訳では無いのです。
正しさに興味ある方は
以下の記事も読んでみてください。
真理とは?正しさとは何か?「哲学を極めた結果を解説」
相手を論破しても、上手くいかない理由
自分が優れた論理、正しさを持って
相手の浅はかな論理に対して
論破したとしても
相手は
自分の考えを心から変えることは
ありません。
人は今までの自分のやってきた考えを
絶対に変えることはありません。
仮に間違っていたとしても
人は自分の考えを変えることはありません。
人の考えが変わるときは、
自分自身の内側から葛藤し、決断して
初めて変えようとすることが出来るのです。
それが人間です。
相手から何か言われて、
「そうか。自分の考えは間違っていた。」
「だから、変わろう」
などと言う人は居ません。
相手に対して
巧みな論理で説き伏せ、
相手は黙って「わかりました」と
答えても、心の中では
「この人はわかってない」
と敵意を持ち、離れていくだけです。
これが変えることの出来ない
人間の本質です。
論破したり、
どちらが正しいのか議論しよう
とすればするほど
敵を作り、上手くいかないことばかりです。
おそらく、巧みな論理でどんな相手も
論破していく人はカッコ良く感じると
思います。
ただ、そのような人ほど
短期的には問題無いように見えますが、
長期的に何かを成し遂げたことは
ありません。
なぜなら論破しただけ敵が多く、
相手を下げるようなことを
見ていた人も、力を貸したいなどと
思わないからです。
人とは例え間違っていたとしても、
相手から何を言われて
自分の考えを決して変えることは無い
これを意識して人と付き合っていた方が
論破力や論理力を鍛えるよりも
よほど上手くいきます。
相手に言いくるめられそうになったら?
おそらく、論破力や言い返す力を
つけたいと思っている人ほど
もし、人から説教されたり、
誹謗中傷されたら、どうすればいいのか?
その答えは
さっさとそこから離れることです。
そして、言われたことも
引きづらずに忘れることです。
間違っても議論することが最悪です。
自分の方が正しいと証明しようと
論破してやろうと思ってはいけません。
議論をして相手を打ち負かしたとしても
表面上は相手がおとなしくなったとしても
心の底から納得することもありません。
そして相手は敵になります。
もともと、杉山がお伝えしている
コミュ障改善、コーチングスキルは
相手を支配したり、コントロールするための
知識、技術ではありません。
自分自身を変えるためのスキルです。
そして、
自分以外の他人をどんな手を使っても
変えることは出来ません。
ただ、
自分が変わることが出来れば、
周りの環境、人間関係、目に見える世界が
やがて変わっていくのです。
相手の「意見を取り入れる時」はどんな時か?
相手から批判されたり説教された時に
意見を自分の中に
取り入れた方がいいことは、
基本的にありません
批判したり、評論したり、
コントロールしようと説教してくる人から
何も学ぶことが無いからです。
すべとは言いませんが、
変えられない相手を変えようとしている
人からの意見は、ほぼ役に立たないのです。
本当に取り入れるべき相手は、
相手のことを注意したり
他人を変えようとしない人です。
意見を取り入れるべき人ほど
「人を変えることは出来ない」
「人に何か言いたくなるのは自分のエゴだ」
と、既にわかっているからです。
批判、議論、説教が多い人ほど
感謝が少なく、不平を口にする未熟な
相手から学ぼうとするのでは無く、
逆の感謝が多い人から学ぶべきことが
沢山あるのです。
今回もここまでお読みくださり
ありがとうございます。