「どうせ俺なんて」「自分はクズだ」と卑下している人の共通点

 

・どうせ俺なんて、何をやってもダメなんだ

 

・自分はクズだ!ダメ人間なんだ!

 

・自分の価値は低い

 

・生きている意味がないんぢゃ無いか?

 

そう思っている人が
現状、多くいると思います。

 

 

 

 

ここでは、わざわざ
「気合が足りない!」
「何、弱音を吐いているんだ?!」
「ファイト!ファイト!ファイト!」

 

などと精神論を語ったりしません。

 

 

 

もちろん
「●●教の壺を買えば、
あなたの価値は上がりますよ!」

 

「偉大なる●●様を信じましょう!」
などと言うつもりもありません。

 

 

科学的な根拠(心理学)で
「自分の価値が低い」

 

そう思い込んでしまう人の
心理、原因、共通点を
淡々とお伝えしていきます。

 

 

何かやっている時だけ「自分に価値がある」と思っている

 

 

 

自分の価値が低いと感じている人ほど
普段、何かに怯え追われるように
仕事、勉強、家事、育児に対して

 

嫌々やっていることが多い
傾向にあるようです。

 

 

 

もちろん、
今やっていることが
本当に腑に落ちていて、
心が満たされているならば
じゃんじゃんやれば問題ありません。

 

 

ただ、嫌々やっている
そんな人ほど、口では

 

「忙しいから」
「やることがいっぱいあるから」
「これをしなければ駄目だから」

 

などと、
何かをやっている自分に対して価値を感じ

 

何もしない自分に価値が無いように
捉えていることが多いのです。

 

 

 

自分の評価を、外の他人に依存している

 

 

・良い成績を出しているから自分には価値がある
・仕事をしているから自分には価値がある
・家事をしているから自分には価値がある

 

 

だから
?しなければならない
などと、

 

追われるような恐怖に煽られ。
義務感でやっいているのです。

 

 

 

 

逆に、

・誰か他人に評価されなければ
自分には価値が無い

 

・目に見える数字を上げなければ
自分には価値が無い

 

・やることが何も無い
自分には価値がない

 

などと、
自分の外側に価値を求めている
のです。

 

誰か他人に評価されなければ
自分の価値を感じることが出来なく
なっているのです。

 

 

 

 

本来、
勉強の成績や、仕事の成果、
実際にやっていることがどうであれ、
人の価値が上下するものではありません

 

自分の内側で、
自分で価値を感じようとしなければ、
精神的に自立している人
とは言えません。

 

 

 

 

自分の内側から価値を
感じることが出来ず、

 

常に外側から

 

「どう見られているか?」

 

「どう評価されているか?」

 

それ次第で自分の価値が決まると
思っている人は安定しません

 

 

 

 

なぜなら、
物事は常に同じことの繰り返し、
一定では無いからです。

 

 

 

 

 

 

例えば、

 

仕事ができて
人に評価されていたけれど

 

今まで自分のやっていた仕事が
人工知能に置き換えられて、

 

仕事を減らされたり、
給料を下げられたならば
自分に価値が無いと感じてしまうのです。

 

 

 

早期退職者を迫られた方に
ありがちなのが、

 

あれだけバリバリ働いていて、
いざ社会や組織から
「君は今日からいらないよ。
お疲れ様でした」

 

と言われたならば、
何かをやっていて、
常に誰かに必要とされ
自分の外側からの評価で生きていたので、

 

自分は生きている価値すら無いのだ
と思ってしまうのです。

 

 

 

子育てをする親御さんならば、
今まで子供を育てている自分に
価値を感じていたけれど

 

いざ子供が自立をして、
親の助けを一切、必要としなくなれば、

 

自分に価値がなくなったものだと
誤解し、空虚さを感じてしまうのです。

 

 

 

だから、子供がある程度大きくなっても
過保護になり、子どもが何かをするにも
口を出してくるのです。

 

子どもからしたら親に支配、管理される
だけの、ありがた迷惑なのです。

 

 

 

自分の外側の世界に
価値基準を依存するということは
いつも気持ちがグラグラとぶれる
不安定なものになってしまうのです。

 

 

 

 

 

学校教育では
常に成績や、業績を目に見える形で
指し示しますよね。

 

このシステムが悪いというのでは無く、
成績=自分の価値

 

のように誤解してしまう人が
多い典型的な例ですよね。

 

 

 

 

学問は、もともと自分の価値を
決めるための物差しではありません。

 

学校で習うような知識は、
物事を深く、横に広く
考えるためのきっかけを
作るためあるのです。

 

 

卒業してから
学校では教えられていない
答えの無い問いに挑戦したり、

 

もしくは、

 

1を10に磨いていくために
あるものなのです。

 

 

 

自分の価値は、自分の内側から感じる

 

 

自分の価値を
外側の他人、評価に依存するほど

 

心のよりしろが、
頼りなく、不安定なものに
なってしまいます。

 

 

 

 

例え、
外側から高い評価を与えられても、
それが万能なものだと錯覚し、

 

自分より低い評価の誰か他人を
馬鹿にして見下したり
価値観を押し付けてしまうなど

 

周りの人にまで迷惑をかけてしまいます。
自分も周りの人も不幸にしてしまうのです。

 

 

 

 

 

 

そして、外側からの評価
時間が経てば、すぐに変わってしまう
非常に脆く、不安定なもので

 

あれほど万能だと思っていた
学歴、地位、肩書き、職業が
全く価値が無いものに変わった時、

 

自分の価値までも、低くなってしまい、
「自分は価値の無い人間なのだ」
という状態になってしまう。

 

ということをお伝えしてきました。

 

 

 

 

 

 

価値は自分から感じられるように
ならなくてはいけません。

 

自分は「存在しているだけ」で
価値がある

 

至極、当たり前のこと
意識するだけで良いのです。

 

 

 

誰かと比べて、優劣があるのは
山と川を比べて、
どちらが優れているのか

 

議論するくらい
無意味非生産的なことです。

 

伝えたかったこと

 

 

もちろん、
何もしない自分に価値があるから

 

普段の仕事も、家事も社会貢献も
何もしない

 

 

というのでは無く、
ここでお伝えしたかった本質

 

 

 

いつも取り組んでいることに対して、
「やらなければいけない」という
義務感に駆られて、
強迫観念のように嫌々やるくらいなら、

 

 

もともと価値のある自分が、
いま目の前のことを
やりたいから、やっているのだ!

 

と感じていたほうが、
自分にも圧倒的に幸せを感じやすく、
周りにも迷惑をかけないで済むのです。

 

 

 

 

今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。

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