A君(^^)

 

「この定食屋さんは美味しかったよねー 」


 

コミュ障杉山(^q^)

 

「うーん…でも、もっと混雑していなければ良かったなー」


 

A君(^^)

 

「そうだねー。あーカキフライ、旨かったー!実はおれ、カキフライが…」


 

コミュ障杉山(^q^)

 

「いやー…しかし、わいカキフライあんまり好きじゃないしなー…
苦いし!わい、アジフライの方がいいなー…」


 

 

A君(^^)

 

「そ、そうなんだ………
(貴様のことなんてどうでもいいだよ!
俺の話を聞いてくれっ!)」


 

 

しょっちゅう、他人の話に対して
「いやー」 「でもー」 「しかしー」

 

などのように人の会話に対して肯定することなく
無意識に否定から入り、

 

自分の持論、価値観を
相手に覆いかぶさるように話を始めれば
相手と共感、理解するどころか
親しくなることは、難しいでしょう

 

 

 

 

 

例で挙げた定食屋の会話は極端な例ではありますが

 

人は誰でも、自分の話をしたい
自分に興味と関心、理解してほしいと感じます

 

 

 

「なるほど!」「うん!」「はい!」
と肯定してくれる人

 

自分のことを理解してくれると思った相手に対し
自分の居心地の良さを感じ
好意を寄せることが出来るのです。

 

 

否定的な人が嫌われる理由

 

人が共感を求める心理は

 

自分の価値観、考え、正しいと思っていることを
誰かと確認し、自分は正しいと思いたいからです。

 

 

 

 

自分の価値観、考え、正しいと思っていることは
今まで生きてきた自分の集大成だからです。

 

 

 

 

そこで、もし否定されたならば、
今まで一生懸命、信じてやってきたのに
自分は間違っているのかもしれない…

 

などと、自己重要感、セルフイメージが
揺さぶられてしまうからです。

 

 

 

 

自分の過去してきたこと、
コレが私です!ということがすべて
無駄ではないかと…

 

逆に仲良くなりたいと思う人は
類は友を呼ぶとは言うように

 

自分と同じ考え、価値観の人
肯定してくれる人、認めてくれる人に対して
仲良くなること、居心地を良く感じて当然なのです。

 

 

 

「人の話を聞くこと」が苦手な理由

 

相手の話を聞かなきゃ!
相手のことを否定してはならない!
と頭の中で理解していても

 

上手くいかなず、
無意識に相手の話を聞くことが苦手で
いつも「私は!私は!」「俺が!俺が!」

 

 

 

 

という人ほど

 

自分の信念、価値観、考えが崩れることが怖い
と思っています。

 

 

 

 

 

相手の話を自分の中に入れてしまうと
自分の自己重要感、エゴが相手の価値観に
塗り替えられてしまう恐れを
皆、無意識に持っているのです。

 

 

 

例えば、あまりそれなりの関係を築いていないのに
哲学的な話や、生死を考えるような深い話は
自分から話をしても、煙たがられるのです。

 

なぜなら誰でも無意識に
生きていくための信念、価値観、考えを持っています。

 

 

 

 

 

 

その信念、価値観、考えが変わったり、崩れてしまえば
人は、次は何を信じて生きていけばよいのかを見つけるまで
落ち込んだり、憂鬱な気分になる時期に入ります。

 

 

 

 

 

人生の中でも、誰かのたった一言で
憂鬱な時期が続く、何もやる気が起こらない時期
というものを誰しも経験したと思います。

 

そして、相手の話を聞くことが苦手な人ほど
自分の生きていくための信念、価値観、考えに
影響を受けることを非常に恐れているのです。

 

 

人の話を聞くには「自分が傷つく覚悟」を持つ

 

もし自分がこの人と仲良くなりたい
学びたいたと思う相手がいるならば

 

相手の話を自分の中に入れたことによって
今までの信念、価値観、考えが揺らぎ
傷つく覚悟で聞くことです

 

 

 

 

もちろん自分のセルフイメージ、自己重要感を
いつも下げられている状態でいいという訳ではありません

 

ただ、人生において時には落ち込んだり、傷つくことでしか
学ぶことが出来ないことがあるからです

 

 

 

 

 

誰しも、どうせ影響を受け、学ぶならば
共感できる相手、考えや価値観が近い人、居心地が良い人から
が良いと思うでしょう

 

逆に言えば、
過去、精一杯に信じてきたことに疑いがかかり
一時的に不快を感じてしまっても…

 

 

 

 

 

 

 

自分自身を保っていた固定概念が揺さぶられてでも
相手の話を聞こうとしなければ、聞くことが出来ないということです。

 

その覚悟が出来れば、相手の話に対し
肯定的な返事が自然と出来るはずです

 

 

居心地の良い相手と共感からは学びが少ない理由

 

ここからは「相手の話を聞く」ということから
話が別になってくるのですが
触れておきます。

 

常に居心地の良い相手からは
あまり学ぶことが無いということです。

 

 

 

 

人が共感を求める根本欲求は

 

・過去に自分がしてきたことが正しいことを確認したい
・自分の信じていることを「やっぱり正しい」と確認したい
・自分の価値観、考えは正しいことを証明したい!

 

 

 

 

というものです。

 

 

 

 

共感できる相手が見つかれば
人は自分というものが正しかったと認められるので
非常に嬉しく、安心し、居心地を良く感じます

 

 

自分が知っていることを確認できただけです。

 

 

あからさまに自分のセルフイメージ、自己肯定感を
下げてくる人に対しては別で、逃げたほうが良いですが

 

なぜだか居心地が悪いな…
なんとなく相手の話が耳に入ってこないな…

 

 

 

 

 

という相手ほど学ぶことがあるのです。

 

 

 

 

 

 

その場、短期的に居心地の悪さ、欠落はあれど
人生において、長期的に見れば自分を守ってくれる学びが
あるのです。

 

 

 

 

 

 

人生は常に居心地の良い相手と居て、
心が全く動かない、平安であれば良いという考えは

 

身体を全く動かさなければ
歳と共に老いていくように

 

心も脳も、何も働かせず、感じることが無ければ
年齢を重ねても、人の成長は止まっていきます。

 

 

 

 

 

 

 

この世に唯一正しいこと、
絶対的な不変の価値観など無い
からこそ

 

常に過去の自分、信念に疑いをかけ、思考すること
時には必要です。

 

 

 

今回のテーマと話が逸れてしまいましたが
考えるきっかけになってくだされば幸いです。

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