スピリチュアルとは何か?「胡散臭い人」のために優しく解説【高額セミナーに騙されない】
スピリチュアルとは?
日本語で直訳すると「霊性」
精神性を整え、生活の質を高めること
一種の宗教のイメージを持ったり、
怪しいと感じることが多いですが、
医療の現場でも、
緩和ケアという分野
患者に対する心理的な措置として、
行われていたりします。
緩和ケアとは?
身心の疲弊や痛み、不安、恐怖を和らげる目的で、
さまざまなスピリチュアル的アプローチで対処していく
ものになります。
ガン患者の方に処置されることが多く、
かつては、病院で処置不能な患者に対しては、
などと、
患者は病院から去らなければいけなかった状況が、
緩和ケア科の創設により、
死を迎えられるまで病院のアプローチを
受けられるというものです。
6〜8
さらに深堀し、
よくありがちなスピリチュアル業者に洗脳される、
騙されるということを防ぎ、
学問として学ぶにはどうした良いか?
解説していきます。
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スピリチュアルが宗教くさい理由
ここでは、もちろん宗教を批判するつもりは
ありません。
しかし、未だ科学では解明されていない世界、
いわば目に見えない分野を扱い、
数字や手に取れる形で、証明しようがないので、
宗教くさくて当然です。
そもそも、宗教はなぜあるのか?
宗教なんて、人に迷惑かけるだけだから
必要無い
そう思う人が居ると思いますが、
「なぜ宗教があるのか?」
コンテキスト(文脈)をたどることが必要です。
科学や医療が発達する前は、
宗教によって物事が上手く行っていました。
『なぜか宗教を信じると、
物事が上手く行く。』
ということが多かったと言えます。
例えば、
病原菌の発見から200年程度です。
それ以前の人は、死体を放置していたら、
なぜ虫を引き寄せたり、疫病を流行らせたりするのか?
腐臭を発したりウジ虫が沸くのか理解できず、
恐怖でしかなかったと思います。
現代の我々は、
微生物や菌による分解が起きていると
習い、知っていますよね。
それ以前の人々は、
「死者を放置してはいけない」
「死者を放置すれば、災いを招く」
科学や医療が発達する前から
宗教や土着信仰でも教えられ、
きちんと死体を埋めたり処理することが出来ていました。
宗教には、伝えたいことを、
物語を通して比喩表現しています。
だから、文字だけを追うと、
が当然です。
「神」や「霊」という表現を用いて、
何を伝えたかったのか?
という感覚で読まなければ、
先人のノウハウを知ることが出来ないのです。
もちろん、意味や本質を捉えようともせず、
思考停止状態でやみくもに妄信すれば、
カルト化し、他人に迷惑をかけるということが
起きるのです。
スピリチュアルも、先人の知恵を読むことが出来る
現代でも、まだまだ科学では解明されていない、
目に見えない世界が沢山あります。
スピリチュアルを本気でやっている人が
なぜか日常生活が上手く行った。
不思議な体験をした。
という人を否定したり、
バカにすることは出来ません。
極めて感覚の世界なので、
証拠を見せろと言われても、
病原菌発見の例えと一緒で、
その人が感じたことを、目に見える形で表現するのは、
もっと先のことになるでしょう。
スピリチュアルを学ぶ理由
このブログでは、
なるべくスピリチュアル要素を排し、
できるだけ、誰にでもわかりやすい言葉を選びながら
書くように心がけています。
しかし、スピリチュアルを学ぶのは、
どんなに理論的な心理学、行動心理学の論文を読んでも、
人のメンタルという非常に複雑怪奇、
現代の言葉や論理では解明しようがない事象が存在します。
もっと言うと、
哲学を極め、真理を探求しようとすると、
「誰かが意図的に設計したとしか思えないような
正確なプログラムで、世界は動いている」
ということに、ぶち当たります。
この部分は感覚的なことでしか語れず、
「わかる人は、わかる」というレベルです。
もはや哲学や心理学の域を超え、
未だ科学や医療では解明されていない
感覚的なことを、伝えようとしたのがスピリチュアル
という分野ということになります。
フォトンの存在
スピリチュアル的なことを1つ紹介しておくと、
人には、必ずフォトンと言われる最小単位の粒子を
持っています。
理科で習った分子、原子のさらに小さな世界が
量子、素粒子と言われる世界です。
この量子の世界には、光の存在が欠かせず、
光には、フォトンと言われる素粒子が存在します。
このフォトンが、
粒のように無数に散らばって
物質を構成しているのか、
1つの粒が波動をつくり、
残像が物質を構成しているのか
未だに解明されていません。
科学の分野を説明しているようですが、
ここからは、スピリチュアルの分野に入ります。
スピリチュアルでは、
このフォトンの働きを「波動」と表現しています。
フォトンの「波動」が、
この世界のありとあらゆる物質と現象を
作り出す訳です。
フォトンは振動し、波動を作り出す
怒っている人には、
フォトンが「怒り」の波動を放ちます。
逆に居心地が良いと感じている人には、
フォトンが、「リラックス」状態をもたらす
振動をしているのです。
例えば、
怒っている人の近く居ると、
自分が怒られている訳でも、関与していないのに、
自分まで、悲しくなったり、怒りが湧いてきたり、
なんらかの感情が芽生える経験をしたことがあると思います。
また、
この人と会うと、なぜか気持ちが軽くなる、
不思議と居心地が良いと感じると、思い当たる節が
あるのではないでしょうか。
スピリチュアル的に言うと、
その人が発するフォトンの振動が、周りの人に対して
波長し、影響を及ぼしているのです。
以下の動画を見て欲しいのですが、
バラバラに動いているはずのメトロノームが
しばらくすると、みんな動きが1つになる。
メトロノームと同じ現象が、
人の間にも起きているのです。
いつもどこを見ても
波長の合う人同士で、輪を作っていることが
ほとんどです。
逆に波長が違ければ、お互い居心地が悪いので、
自然と離れていきます。
刑務所や学校の狭い箱庭のように、
押し込まれていた状態であれば、
しばらくの間はストレスになり、
どちらかが一方の波長に合わせることに
なるのです。
スピリチュアルでの教訓
なぜ、あの人の周りには、
自然と人が集まってくるのだろう?
なぜ、あの人はモテるのだろう?
なぜ、あの人は何をやらせても上手くいき、
逆に何も上手くいかないのだろう?
どんなに心理学や人心掌握術を極めたり、
相手に好かれようとしても、ボロが出てしまう。
なんか違うようだ。
フォトンの波動によって自分の世界が作られるのだから、
まずは、自分の内面をなんとかしなければならない。
と言うことに行き着くのです。
だから、テクニックより、
内面のマインドを整える方が
大事になってくる。
ということになります。
お金儲けも同じです。
特にガツガツせず、気合い、根性、才能もいらず、
何をやっても上手く行く人は上手くいく
逆に、どんな良質なノウハウや道具を与えられても
稼ぐことができない。
ということが、よく起こります。
読む人によっては、
新興宗教みたいになって抵抗を感じますが、
ここで一番伝えたいことは、
言葉でわかるようなテクニックや知識だけでなく、
言葉では説明できない、感覚的な部分が大事。
ということです。
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こんなスピリチュアル業者には気をつけろ!
最後に触れておきますが、
スピリチュアルを学んだり、実践をしたからと言って
上手く行くことはありません。
不安や恐怖を埋めようと、
妄信することが、カルト化を招きます。
どんな教えも、人の話も、本も、
などと、
疑問の1つも無くなると、それは上手くいきません。
例えば、数学を学ぶことに対して、
誰もが抵抗を感じないと思います。
しかし、こんな言い方をされたらどうでしょう?
数学を学ばなければ、
あなたは不幸せです。
今なら、まだ間に合います。
この数学の講座に〇〇万円、振り込んで
受講すれば、あなたは助かります。
などと、言われたら、
違和感に気づくと思います。
それと一緒で、
不安、恐怖を煽り、スピリチュアルをすすめてくる業者は
怪しまなければなりません。
杉山自身、スピリチュアルを学ぶ相手は、
不安や恐怖を煽るような真似をせず、
「タイミングの良い時に」「いつでも」
というフラットなスタンスです。
もちろん、専門的なスピリチュアルをマスターした訳では
無いので、強く言うことはしません。
どんな論理的に説得されたとしても、
自分の感覚に合わなければ、
勇気を持って「見送る」と言う選択も、
立派な決断になるのです。
いつも論理的な人が学んで欲しい世界
いつも論理と格闘している人が、
自ら企画したり、何か画期的なアイデアが湧かない。
クリエイティビティが枯渇する
ということが頻繁におきます。
「論理」とは、贅肉を削ぎ落とし、
一切の無駄を排除していく作業なので、
枯渇して当然です。
よく、文学やアートに触れ、刺激を受けて
またやる気が戻ってくるように、
スピリチュアルもまた、
非科学、非論理的な世界であるからこそ、
科学と論理を邁進させたいという
やる気が、また戻ってくるのです。
個人的な意見ですが、
幸せになるためにスピリチュアルを学ぶよか、
一種のアート、エンターテイメントとして
触れれば良いと思っています。
それで、何か良いことを得られたのなら、
例えプラシーボ効果だとしても、
それはそれで良く、
胡散臭い!怪しい奴!私は絶対に騙されないぞ!
などと身構えるよりは、
楽しく扱えるようになります。
今回もここまでお読みくださり
ありがとうございました。